希望から絶望に至るグラデーション行方不明のわが座標軸

希望から絶望に至るグラデーション行方不明のわが座標軸
 
 幼少期の人生は希望に満ちているに見える。しかし、思春期になり勉学に勤しむ内に、自分の才能あるいは嗜好などから、少しずつ限界を感じるようになる。中学生、あるは高校生になる頃に、自分の限界を知ることになるのだ。
「十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人」という言葉を噛み締めざるを得なくなるのである。
 これはスポーツでも同じようなものである。小学生の頃は、近隣の学校ではみんなが知っている有名なサッカー少年であっても、中学生になれば「かなり上手な子だ」という評価になる。高校生になったら、今度は「まあまあの選手だ」という評価になり、大学生ともなると並みの選手の一人であると言う評価しか貰えなくなる。
 人は、よほどの天賦の才能と血の滲むような努力によってしか、高い評価は得られない。だから、人は中年になったら、自分の限界を良く見極めて、趣味の世界に没頭することを自分の老後の目標に定めるのか、あるいはただひたすら出世を目指すのか、いずれかの時点で決めねばならない。
 自分の限界に早い段階で気が付いて、目標を決める人は、意外と引退後の人生も楽しめるだろうが、そうでない人は、いつまでも苦い思いを噛み締めていきていかねばならないことになる。


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