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藤田泰実/5枚の写真から語る『落ちもん』都市のラス・メニーナス【第18回】

2020年から「路上観察の現在地を探る」として、いろいろな方をお招きして、その方が見ているものの魅力、また、どうしてそういう視点に至ったかなどを、片手袋研究家の石井公二編集者・都市鑑賞者の磯部祥行がお聞きしてきたトークイベント『都市のラス・メニーナス』主としてYouTubeで配信してきた。「ラス・メニーナス」とは、17世紀にベラスケスによって描かれた、見る人によってさまざまな解釈を生じさせる絵画。街も、人によって、まったく異なる見え方をしているはずだ。

平井オープンボックスを会場として、毎月1回開催中。その第18回が2023年6月18日(日)に、落ちもん写真収集家の藤田泰実(ふじたよしみ)さんをお招きして開催された。

中央が藤田泰実さん。左は磯部祥行、右は石井公二(写真=丸田祥三さん

藤田さんは、路上に置いているものを写真に撮っている。落としものもあれば、端から見たら「ゴミを撮っている」と言われかねないものも対象だ。でも、当然、藤田さんは「ゴミ」などという気持ちでそれを見ていない。では、なんと呼ぶべきなのか。まず、その話から始まった。

「『ポケモンGO!』は、スマホの画面でしかモンスターを見ていないじゃないですか。それって同じじゃない? 『ゴミ』という感覚で撮っていないし、出会ったものという存在を愛でて撮っているので、それを『落ちもん』と名付けました」。活動を続けながら、それを言い表す言葉を探し続け、ついに出会った言葉が「落ちもん」だったのだ。もちろん「ポケモン」とかけている…!

石井「どう名付けるのかは、その世界を規定するので、とても重要」。

藤田さんは、どう落ちもんを集めているのか。石井の片手袋研究と同じく、対象に一切触れずに、かつ演出を加えずに、正方形・真俯瞰で、証明写真のように撮影していく。「1枚だけ」でもいいけれど、「同じルールで撮って集めてこそ」という見せ方を考えている。

落ちもん写真は三つの要素に大別されるが、奇跡的に、それらすべてを併せ持ったものと出会うことがある。さて、ここからが「5枚の写真」だ。1枚目は「目で楽しむ落ちもん」。

1枚目。
1枚目の補足。

これをゴミと呼ばれたくないという気持ちは当然だろう。

地と図の構成。

2枚目は、落ちているもの自体がインパクトがある落ちもん。

2枚目。
2枚目の補足。

それぞれの解説は動画をご覧いただきたい。3・4枚目は「周りの情報を汲んで妄想で楽しむ落ちもん。

3枚目。手書きで「こころばかり」。ハンコも押してある。
3枚目の補足。こんな場所に。
4枚目。場所は歌舞伎町。歯磨き粉に、「ツバサ」と名前が書いてある。それも2箇所に。

いろいろな物語が思い浮かぶ。「妄想にはまっているから続けられているのかもしれません」。このあたりが、1枚目とはまた別の作品性にもつながっている。

磯部「対照的に、土木構造物などは、必然性があって存在していて、歴史が事実として知られているので、妄想が入り込む余地がとても少ないと思います」。

ところで、藤田さんは「分類」はするのだろうか。

藤田「私は分類じゃなくてマインドタイプだなと思っていたんですが、2014年から続けていると、分類が必要になってきました。食べ物、ぬいぐるみ、せつなさ、春夏秋冬…」。石井「突然、漠然としてきましたね」。

ここから、藤田さんと路上観察の関係について、出会いや考え方についての話に入っていく。

最後。手鏡。

5枚目。これも妄想だが、これについては、物語を作成している。その朗読でトークは幕を閉じた。

「わたしは、ここ10年、恋人がいません…」

* * *

広く「路上観察」を楽しむ方々の中には、集める人もいるし、表現する人もいる。藤田さん「みんな、自由な妄想で、失敗でも笑いに変えることができたら嬉しい。こういうことをしても、怖くないぞ!」。「落ちもん」そのものの物語も、作品を受け取る側の解釈も千差万別。自由。そして叫んだ。「フリーダム!」

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(1)YouTubeにて最初の30分を公開しています。

(2)配信すべてを有料にて観覧いただけます。

『5枚の写真から語る落ちもん』都市のラス・メニーナス

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