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風穴を開ける、その2

この間、和歌山のとある港を通りがかった。
かなりの郊外。周りは倉庫、工場、コンテナだけ。磯の香りと鼻をつく化学的な匂い。
港の縁では何人かのおじさんがあてもなく釣り竿を垂れ、それを巨大な鋼鉄のキリンが見守っている。
遠くの方で大きめの漁船がボー…と警笛の音を出し、見上げると、カモメが群れを成して同じ場所をぐるぐると回っていた。

ふと、地元の風景を思い出す。

自分の中で原風景と呼べる場所の一つが、工場地帯の海だ。地元の海はお世辞にも綺麗と呼べる場所ではなく(都会に比べたらましかもしれないけど)、深緑に濁っていて、中に何がいるかも分からない。辺りには工場が乱立していて、煙突からモクモクと謎の煙を出している。その近くを歩いていると、ときどき木工用ボンドみたいな酸っぱい匂いがぷーんと漂った。田舎の湾岸によくある、無表情な鋼鉄と工業排水の海。人通りも少なくて、どこに行っても薄暗い。でも、ときどき僕はそこに行って、気の済むまでぼーっと日没を眺めた。不思議と心地がよかった。

「この海は、知らない遠くのどこかに、たしかに繋がっている。」そう思えるだけで、息の詰まりそうなときもなんとか留まれた。

思えばいつも窓を探していた。同じ匂いの空気が溜まると耐えられない。でも、好むと好まざるとに関わらず、些細なことの積み重ねによって、毎日胸の中の空気は澱んでいく。それを晴らすためには、塞がった気持ちのどこかに風穴を開けてくれる何かを見つけなければならない。そしてその「何か」は、人からすると取るに足らないものかもしれないことを、僕はよく忘れてしまう。

本当に自分を浄化してくれるものは何なのか?

この胸の内を澱ませるものは何なのか?

その和歌山の海は、地名も何もかも忘れてしまったけど、僕の中に溜まっていたもやもやの塊を少しだけ削りとって、どこか遠くにさらっていってくれた。今日もおじさんは変わらず竿を垂れ、キリンがそれを見守っているだろう。

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