見出し画像

御言葉の黙想 ヨハネによる福音書4章35節ー38節 2024年6月27日

本文:
あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月ある』と言っているではないか。しかし、私は言っておく。目を上げて畑を見るがよい。すでに色づいて刈り入れを待っている。刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、蒔く人も刈る人も共に喜ぶのである。
『一人が蒔き、一人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。
私は、あなたがたを遣わして、あなたがたが自分で労苦しなかったものを刈り取らせた。ほかの人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」

黙想:
今は概ね棄却されているが、最初にアラム語で書かれたものが後にギリシャ語に翻訳された可能性が指摘されていた。実際にこの福音書にはヘレニズム文化の影響が強く観られると同時に、アラム語文化の背景が強くうかがえる。
最終編集者はその弟子たちであった可能性を否定できないだろうが、著者が使徒ヨハネ自身であった可能性を否定するものではない。
共観福音書と比較した際に放たれる特有の異彩は、目撃者の証言に由来するものである可能性を否定できないと思う。

神は我々が蒔いていないものを収穫させる(ヨシュア記24,13)。それゆえ、これは自分の業ではなく、神の恵みである。しかし、世の中に無料はない。誰かが労苦したゆえに実りがある。主イエスに代表される預言者たちの労苦で蒔いた種が今実りを迎えているのである。
収穫の時は目で見ておそよ確認できる(ルカによる福音書12,56)。しかし、人々は「まだ四か月ある」と言ってそれに気づかない。収穫の時代はすでに始まっている。
「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカによる福音書12,32)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?