急性大動脈解離と走馬灯

「走馬灯」とは、人が死ぬ間際などに、これまでの人生の記憶がよみがえることを言い表した、比喩表現に使われる言葉らしい…

1回目からいきなり不穏なテーマから書きますけども
死後の世界はわからないにしても、死ぬ間際の体験談なら私でも語れたりします。では走馬灯を見るに至るまでの急性大動脈解離発症時の事からお話しさせていただきます。

当時私は旅をしており、横手市の駅前ビジネスホテルにいました。朝3時頃、背面の芯あたりから痛みがはじまり、痛みがこらえきれなくなったので、ホテルのフロントに電話したものの冷たくあしらわれてしまいました(辛さが伝わってなかった可能性はある)。その出来事から怒り心頭になった私はホテルから総合病院へマイカーで向かう選択をしました。

とはいえ、ホテルを出た直後、左足がほぼ動かなくなり、全身から痛みがでるようになりました。普段の10歩を5倍以上の時間をかけて、足を引きずりながら歩く状態でした。

どうにか1時間以上かけてマイカーに乗り込むと、背中からさらなる激痛が走りました。意識も薄れ掛かっており、アクセルを踏もうにも少しでも足を動かすと激痛な状態でした。それでも死ぬなら病院前で死ぬか。という変な使命感を持ちつつ、無理やり車を運転しました。「119」をしなかったのかはいまだに覚えていません。(最初は痛みを耐えながら自宅がある群馬に帰ろうとしていたのですが、医師曰くそれをやったら死亡且つ交通事故確定だったそうです)

激痛こらえながら、着いた病院では歩くことがもうできずに這いつくばって救急窓口に行くような状態でした。その途中で意識が更に遠くなり、小さい頃の思い出が不思議と若い順から思い出すようにポンポン湧いてきたのです。見ていた時間はよくわからないけど、大してかかっていないと思います。三途といえば、景色的に砂利が沢山あって川が流れ、空気的には濃霧というイメージがありますが、濃霧については意識が死にかけているためなのだと思います。川とか砂利はよくわからなかった。

その時どういった動作をしていたかはわからず、走馬灯の後は意識が飛んだのでわかりませんが、病院にズリズリしてたどり着いていたようで、そこでの検査で急性大動脈解離と判明し、救急車内でモルヒネってすごい!とか思い知らされながら、秋田医大へ行き、生存率7割のオペが行われ生き残りました。(オペ前の医者の電話で親もさすがに驚いていたようですね。そらいきなり死ぬかもって話ですから…)

というのが走馬灯のお話でした。
色んな方から言われるのですが、一番言われたのは「走馬灯を見たのなら、君は生き残ろうとした」ということでした。あの激痛時の時は生き残りたいなんて思ってなかったし、痛いぞ!とか無意味に叫ぶのが限界でした。でも、無意識に本心では生き残ろうとしていたのかもしれません。

今後何かしらで死にかけたとき、走馬灯が見れたら助かりやすくなる?のかもしれません。参考になればいいなと思います。
読んでくださった方、ありがとうございました。


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