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子どもの特権

自分の子どもがまだ小さいとき、彼女のすることを観察するのが好きだった。
小学校でパートをしていたときも、子どもがする一挙手一投足を「面白いなー」と微笑ましく思ってみていた。

なぜかと言うと、それは大人がしなくなった (出来なくなった) 無駄なことだから。
「すごい集中力だな」と感心しつつ「いいなー」とも思った。
今の自分がやったら絶対に変な人になるぞ。

昔はよく学校帰りに立ち止まって、"無駄なこと" をしたな。

水たまりでこれでもかというほど飛び跳ねてビッチャビチャになったり、
へんてこなステップを踏みながら歩いたり、
空だけを見上げながら歩き、電柱にぶつかりながら帰ったり、
虫が何かを運んでいるのを見つけると、それをずっと見つめたり・・・
人の家の犬を外からじーっとみたり
吠えられたら「ウーッ、ワンワン!」と吠え返してみたりする

あの時は、「子どものやることだから」とスルーされていた。

「今やると全部不審者になってしまうな」と時々会う下校途中の子どもが一人その場でくるくる回って遊んでいるのを横目に思った。

理性が先頭にいる今は知らない人の家にきゃわいい犬が繋がれていても歩きながら目で挨拶して我慢我慢。
嬉しい気持ちになったって間違ってもステップを踏んで回転したりしてはいけない。

そういえばウォーキングをしていた時のこと。
60代くらいの女性数名が前からなにやら楽しそうにわいわい話しながら歩いて来る。
道なりに桑の実を見つけるやいなや
「わーこれ見て見て!よく子どもの時に食べたよね!」
「あ!本当だ!」
といいながら、キャーキャーとその木にたかり、各々がぴょんぴょんとジャンプをしながら実をとっていた。
実をとっている最中も「わー、懐かしい!」とずっとキャッキャ言っている。

その時私は自分よりもずっと年上の女性たちを「かわいいんじゃね?」と生意気にも思ってしまった。一人でいたとしても、きっと嬉しそうに木にかけより数粒食べそうな勢いだ。

もしかして、ある程度の年を重ねていくとまた”無駄なこと”できるのかな?
もちろん人に迷惑をかけない、常識の範囲内で。
いずれわかってくることだろうけれど、今の自分が微笑ましく思えるようなお年寄りだったらいい。あの女性たちはお年寄りではなかったけれど、きっとかわいいおばあちゃんになるのでは。


今朝、元気なセミの声を聞きながら窓を開けて吸い込んだ空気にうっすらと秋の気配を感じた。子どもの頃、たくさん無駄なことをして得た感覚かもしれない、とちょっと嬉しくなった。

現代の子どもたちは多忙だ。そんな中でも子どもの時にしかできない無駄なようで貴重な体験、たくさんしてほしいな。

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