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TAR/ター (途中)

過ちを犯さないのは、何もしない者だけだ。私はそう思っている。 ジョゼフ・コンラッド

リディアさんが身を守る皮膜について。

エリオット・カプラン(ギルバート・カプラン)の投資によるプライベートジェットとホテルの提供
コンサートマスターの教えと住居と処方箋
カウチとクルツ大佐的隣のお婆さん

を、放棄するとお化けの音を聞かなくなる。大きくこの3つは、言い換えれば社会・所属、家族、色恋。

3つの被膜の中でタチが悪い取引になっているのが、マーク剛さんのカプランで、ここはソフィスティケートされた搾取だと示されている。なので、ぶん殴る所はとてもカタストロフィがある。

特に、プライベートジェットで盗撮されるのを見る我々、家から楽譜が無くなるのを見る我々は、提供される皮膜が一方的に与えられる加護でないこと、リディアがジャッジされたことを重々知らされている。

観客は、ジャッジに参加しながらも、断捨離を共にしてTHE END の直前には「no one judge you」を受け取る設計。

しかも、リディアは船に乗り込んで川を上り、何なら老いを自覚して新しい演奏、新しい人生に立ち向かうのである。

最前で見ると、インタビユーシーンの人物の位置とピントの合わせ方が物凄く気持ち悪かった。

あとさぁ、「絨毯を巻く」がインサートされるでしょう?てことは、ターさんの部屋のもう一人の裸足は誰なのっていう。

コンゴまで行った女性指揮者って、アントニア・ブリコで良いのだっけか?
もう一回見るか。

noone judge you

judge you は、相手が道徳的、倫理的におかしい発言、行動をした場合に使うフレーズだけれども、ふつうは否定文(モンハンの場合はno one)で使うことで、相手をいったん受け入れる場合に使うそうです。

教えを乞いにコンゴ(闇の奥の舞台)まで行った女性指揮者の話が、冒頭の貧乏ゆすりシーンで述べられていて、そこから「地獄の黙示録」がバリバリなのだけど、
闇の奥たるフィリピンのオーケストラでも、本当にまた弦の人が貧乏ゆすりしてた。中途半端に(笑)。

「ゲーム音楽は新曲が生み出され続けている最新のオーケストラ音楽でもあるため、現代の最先端の現場で生きていくという意味にも取れる」


タレントとして自伝本を出版するタイミングで、女性マエストロ育成プログラム関連の大学の授業を男性にも開放し、プログラムをあるいは手放す準備をしていた。

所に、想定外の(想定内の)受講者が来るし、おばけも来ている。し、セッション不成立、となる。圧迫面接がエンタメといて面白いですか?消費してみてどうですか、にも成っている。

そして、もう二段か三段の入れ子構造になっていて、そう思うとエンドクレジットからオープニングに続かれることが意味を持つ。

タレントとして自伝本を出版するタイミングで、女性マエストロ育成プログラム関連の大学の授業を男性にも開放し、プログラムをあるいは手放す準備をしていた。

そして、見る方が過去から、起きた出来事から分かることを、リディア・ターは理解していないまま歩を進めいいくのだ、というのが、あるある。

TAR/ター 米国の予告編を見ると、公開に当たってシュールレアリズム絵画っぽい画面をカットしての、女子トイレ残し、なのが、落下的にすごい気になります。

米国の予告編を見ると、軸ジャンプの軸が、水面よねえ。

ちょっと分かりづらいけど、揺れて撓んでいる画面。水面下のように。

ジャンプのクライマックスの滝行も、すごい良い。

カラーの世界でなぜか水墨画の様であり、無常感の様であり。そしてコメディ感がある、というセンス。ギリギリ良いけれども、この様に「地獄の黙示録」とシュールを乗り越えるのか!と。

しかも、古式ゆかしい撓み、水面下を捨てている。

コメディ感、だよなぁ。「苦痛に関する表現、苦痛を消費する表現、ではありません」という、コメディ・エクスキューズは、どうしても必要なのだろう。エブエブにも顕著だったけれども、コメディ感が前世紀の世界系との違いに使われている。と思う。前置き無しの80'sなので。

1982年からダダイズム、シュールレアリズム、地獄の黙示録、が来るのだよなあ。日本は。
たぶん、イタリアも。
イタリアから微妙に景気の良いフィフティーズにずれていく。

第一次(第二次)世界大戦後に、男性が考えた理性の規制解除がシュールレアリズムであるから、それを映画からオミットした、というのは編集の意味が付く。

で、それは2023年の判断という感じがして、良いと思う。
顔が煙なの、フランシス・ベーコンだっけか?
というか、デヴィッド・リンチの写真っぽい画面、ということでいいのかしらん??

ウィズコロナに当たっての、「落下せよ」との啓示。
または(ウイルスを)自力で排出せよとの啓示。

『TAR/ター』おもしろかったー。なんだこれ。栄光と転落と言うけれど、転落後の身近味と来たら。特に水面関係が、どういう画面よ?!っていうのなのに美麗だった。ぬめっとしてたわぁ。
エンドクレジットもビシッとしていて最高でした。というか、ゲロと呼応してたね。
村上春樹に続いて落下ものなのだけど、水面下(物理)(水の下の冥界に押し込められた女性性)という方にも行けそうだし、トイレの画面の差し込みから食道から腸へ、体外へ、みたいな落下感もある。

5月15日
格式レストランでレジェンドで没落したおじいちゃんと食事してる所、ポーの一族みたいで割と好き。男の子(子!)。インタビューシーンの女子感との違い出して来るよねぇ、ケイト様。

そうだよな。日本には前半と後半の豹変を理解する素地がある。道成寺とかで。
さらに、ジャパニーズホラーの話法理解が定着していて、一瞬だけ流れる赤毛のクリスタの幽霊表現に引っ張られ過ぎた。監督の設計通りに。
設計通りなんだよなあ。すごい。

夕顔・六条の御息所もある。

鬼子母神の変奏だろうか。

ターが既存のクラシック音楽業界の基準を外れたペラペラのメダルで装いだすのは、奇異な感じも含めてモンハンコスプレの皆様の前フリだったのよねえ。
価値が分かれば装いの正統性が分かる。

「闇の奥」が出てくるのびっくりだし、
「地獄の黙示録」≒ベトナム戦争敗戦の要素が、ティーンエイジャーの当時に聴いてきた音楽でなんと色濃かったことか、改めて気づきもあった。

ラストからエンドロールのリズム感で、一挙に現代になる。

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