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一等星の輝きシリーズ

自殺未遂……?

 植物園。人気がないそこで、ある影が魔法瓶を持っていた。中身をじっと見つめる。ヘドロのような色のそれは、どう見ても毒だった。
 その影は毒を持って何しているのかというと。震える手で思い切り中身を自分の頭──正しくは顔へとぶちまけたのである。影は自殺志願者だった。もうすべてどうにでもなれと思っていた。
 目をぎゅっと瞑り、ヘドロが顔にかかるのを待っていた影は、少ししても顔にヘドロがかからなかったので不思議に思った。恐る恐る目を開けると、顔の前でヘドロが弾かれていた。というよりは、第三者によって弾かれていた。
「……テメェ、こんなところで何してやがる。人が気持ち良く寝てる横で死のうとしてんじゃねえよ」
 とても不機嫌な声が聞こえ、影は振り返った。
 影──その人物の、涙で腫れた目元や赤くなった鼻を見て、第三者──植物園で昼寝をしていたレオナは眉をひそめた。
「……ごめんなさい、迷惑をおかけしました」
 消え入りそうな声で囁くように言った人物は、無理矢理作った笑顔を貼り付けて「邪魔してすみません」と地面を見て、その場から去った。
「……お前、一年の草食動物か」
 しかしレオナに声を掛けられてしまったので、その場で立ち止まった。
 艶やかな長い黒髪が静かに揺れている。この人物をレオナは知っていた。というかNRCでは知らない人はいないだろう。
 自分よりも低い位置にある頭を眺めながら、なるほど、これは確かにヴィルが構いたくなる気持ちも分かる。とひとり納得した。
 最近自分に構ってこなくなった口うるさい同級生を思い出しながら、地面に広がるヘドロを見る。
 ブクブクと泡立つそれを見て、こいつはこんなものを顔にぶっかけようとしてたのか……とレオナは改めて目の前の人物──オンボロ寮の監督生、ユウが心配になった。
 他人の心配など普段はまったくしないレオナでも、泣き腫らした目鼻で自殺未遂をする女の子がいたら流石に心配するのである。
 ユウはゆっくりと振り返って、口を開けた。そこから音は出ず、しばらくはもごもご何かを言おうとしていたが、無駄だと察したように口を閉じてしまった。
 しかしレオナはユウを責めるわけでもなく、ただ黙っていた。笑顔の下には『大丈夫じゃないです』と書いてあったので、その理由を本人の口から言わせるためだった。
 しばらく沈黙が続き、ユウが再び貼り付けられた顔で「すみません、本当に……なんでもないのです」と絞り出したように言った。こっちが泣きたくなるような表情と声だった。
「……『なんでもない』わけねぇだろうが」
 きゅ、と眉間にしわを寄せ、下がった眉で下を向いているユウ。どうすれば彼女の口からあの行動の理由を聞けるのか、どうしたら心を開いてくれるのか。レオナが悩んでいると、遠くから「おーい、レオナさーん? レオナさーん、どこにいるんスかー?」と聞きなれた声が聞こえてきた。
 レオナの気が一瞬逸れた隙に、ユウは身を翻して早足に立ち去った。
「おい待て」
 しかし腕を掴まれてしまった。逃げられなかった……どうしよう……。ユウが下を向いたままどうすればいいのか考えていると、足音が近づいてきた。その足音はすぐ近くで止まった。
「あ、見つけたっスよ! こんなところで何してんス……か…………?」
 ユウとレオナの背後から声が聞こえた。
 声の主は、レオナの足元に広がった黒ずんだ何か(ヘドロの跡)、彼が掴んでいる腕、腕の主である黒髪の女の子を見て、黙り込んだ。
 めんどくせぇことになった……。レオナが足音の主──自分を探しに来たラギーになんて説明しようか迷っていると、ユウが掴まれている腕を外側にひねった。持っていられない方向に捻られたため、一瞬レオナの手が離れる。しかしすぐに腕を掴み直した。
 ユウから「あの……、離して……ください」という視線を感じながら、ウッ泣きそうな女の子の手を掴んで何やってんだろ……、と手を離しそうになりながら、しかしここで離したら逃げられると思ったためどうにか離さなかった。流石不屈の精神。
 ユウは、痛くはないが振り払えないくらいの力で掴まれている腕を見て、この人って力加減できるんだ……、とぼんやり思い、どうやってあの自殺未遂を説明しようか必死に言葉を捻り出していた。
「……レオナさん」
「違ぇよ」
「まだ何も言ってないっスよ」
「チッ……あー、監督生。その毒はどこで手に入れた?」
 少し黙って、かろうじて聞こえる声で「……サイエンス部です」とユウは答えた。
「誰に貰った?」
「部室にいた……上級生の先輩、です」
「二年か三年か……」どの馬鹿がこいつにこんな毒を渡したのか。聞いてみたものの、ユウは曖昧な答え方しかしなかった。恐らく本当に名前も顔も知らない上級生だったのだろう。
 それにしたってこんな猛毒を渡すとかそいつは本当に馬鹿なんじゃねえのか? レオナは地面の黒ずみを見て、ユウの片手に握られたフラスコを見た。中身は空。先程全部ぶちまけたからである。
 居心地が悪そうに小さくなっていたユウは、怒られるとレオナの様子をちらちら伺っていたが、彼は少し沈黙した後ため息を吐くだけだった。
 上目遣いにこちらの様子を伺うユウに、レオナはサイエンス部の馬鹿が何でこいつに毒を渡したのか何となく解ってしまった。少し下がった眉、赤みがかった目元と鼻。きゅっと閉じられた口元。潤いを帯びてキラキラ輝く瞳は、黒曜石のようで。……この極上の困り顔でお願いされたのだろう。駄目だとは解っていても、彼女に抗えなかったのだ。
 誤解していそうな……というか確実に誤解しているラギーに説明しないといけないのだが、彼女に見られていると強く出ることもできず。
「あ゛ー」
 レオナは頭を搔いて「ついてこい。……別に怒るわけじゃねえよ。だから逃げるな」とユウの腕を離し、植物園から出ていった。ここで逃げても後ろにいる先輩──ラギーに捕まりそうだなと思ったユウは、ちまちまと大人しく後をついて行った。
 一体何をやらかしたんだろう……。ラギーは目の前で揺れる黒髪を見ながら、レオナのやりそうなことをその一からピックアップしていった。
 さて、レオナが向かった先はサイエンス部だった。行き先が分かった瞬間、ユウは逃げたくなったが、レオナが「そのフラスコ、返さないといけねえだろ」と尤もなことを言ったので、確かに……とビクビク着いて行った。
 ラギーは珍しく優しいレオナを見て、珍しー……、と思ったが、たまにちらりと後ろを確認する後輩を見ているとなんだかそわそわして、ただ後ろを歩いているだけの自分がなんだか情けなくなり、なんでもいいから彼女のためにしてあげたくなるのだった。なるほど、レオナが優しいのはこれもあるだろう。
 サイエンス部の部室につくと、レオナはズカズカと部屋に入り、部屋の一角を見た。
 そこでは一人の部員が別の部員に何やら泣きついている。
 あいつか……。レオナはその部員達に近づいていく。レオナに気がついた片方が顔を上げた。レオナやユウがよく知っている顔だった。
「ロア・ドゥ・レオン! いったいどうしたんだい? 君がサイエンス部に足を運ぶなんて」
「お前が話しているそいつに用があって来た。これを返しに来たんだよ」
 レオナが振り返って顎をしゃくった。来い、ということだろう。ユウは恐る恐る近寄っていった。
 ユウと、彼女の持つフラスコが空になっていることに気がついたもう片方の部員──ルークに泣きついていた男は、なくなっている液体を見てさらに取り乱した。
「うるせぇ……。お前があいつに渡した毒は俺が処分した。今後は用途を聞けよ。分かったか?」
「は、はい゛……わがりましだ……よ、良かった……彼女に何事もなくて……!」
 今度は安心して泣き出した男に、レオナは顔を顰めた。うるさい泣くな騒ぐなと顔に書いてあった。
 まさか庇われると思っていなかったので、ユウは思わずレオナを見上げてしまった。また気を使わせてしまった。本当に申しわけない。彼はまったく関係ないのに……。
 彼女が心の中でひたすら謝っていると、レオナが「用はそれだけだ」と彼等に背を向けてスタスタと部室を去っていった。しかしレオナは部室を出た後も中を、正しくはユウを見ていたので、彼女は慌てて男に謝罪をし、レオナの後を追った。
 部室から少し歩いて、使われていない空き部屋の前にやってきた彼等は、部屋の中に誰もいないこと、また防音性があることを確認した。ユウが入るのを躊躇っていると、「……ラギー、お前には後で説明する。今日は帰れ。部外者がいると言いにくいだろ」とまたしてもレオナに気を使われた。
 普段からこれくらい気を使ってほしいっスね〜と思いながら、ラギーは「はいはい。後でしっかり聞きますからね。覚悟しといてくださいよ!」とその場から去った。
 歩き去るラギーの背中をぼんやりと見ていたユウは、ふと背後に気配を感じて振り返った。
 いつの間にかルークが立っていた。
「わっ……!?」
「ノン! すまない、驚かせるつもりはなかったんだ。……レオナくん、いるのだろう?」
 入れ違いになるようにやってきたルークに、レオナはやっぱりな……と息を吐いて、こいつの足音を消す癖どうにかならねえのかな……とユウを一瞥した。
「先程、君が『毒を処分した』と言っていたが、どうにも本当に思えなくてね。……本当は違うのだろう?」
 まァこいつにはバレるよな……。レオナはユウを見た。彼女はレオナと目が合って、そしてこちらを優しい、心配が滲み出た目で見つめるルークとも目が合った。
 ルークは以前からお世話になっている先輩だった。彼は『美しいもの』が好きだったので、彼にとって健気に自分の『輝き』を取り戻そうと努力しているユウはとても『美しいもの』だった。
 とっても綺麗な後輩の女の子が、自分を磨き続けている。それは涙が出るほど美しい光景である。
 だからこそ、ルークは人一倍ユウに世話を焼く、というよりは彼女をエスコートしていた。彼にとっては「君はとても美しいのに、健気に努力し続けるその姿は更に美しい。君の頑張っている姿を見ていると心が浄化されるよ。いつもありがとう」という想いなので、そのぶんを彼女に返そうとしているのもあった。
 しかしユウにとっては「シェーンハイト先輩の次くらいに色々とお世話になっている、優しい先輩です。いつもありがとうございます」という想いなので、端的に言うとルークには信頼があったのだ。
 だから、ユウは思った。……ハント先輩なら、大丈夫かな。と。
 本当はレオナにも言いたくはなかったが、自分の不注意で巻き込んでしまった以上、責任をもって事の顛末を説明するしかないだろう。
 ユウは小さく頷いて、恐る恐る口を開いた。背後でルークが扉を閉める音が聞こえた。

 ユウの話を聞き終わり、レオナはあの時咄嗟に防衛魔法を展開して良かったと過去の行動を称賛した。ルークは涙を流して絶句していた。
 『第二王子』というだけですべてを『第一王子』──兄と比較され、あることないこと言われているレオナだからこそ、ユウの境遇に深く共感できたし、彼女があの行動をとった理由も納得できてしまった。
 ユウは、手違いによってNRCに入学することになってしまった、魔力のない一人の女子生徒である。身よりもなく、NRCを追い出されたら行くあてもない。何より『勝手に連れてこられた』立場であるため、彼女は自分の意思でNRCに入学したわけではない。れっきとした被害者であった。
 しかし、NRCの外にいる人、つまりNRCの関係者以外からすると、彼女は『魔力もないのに何故か入学が許可されている女子生徒』となるのだ。
 NRCは名門校である。それ故に、入学したかったのにできなかった、という人も極めて多い。
 それなのにユウがNRCの生徒であることを知ったら。
 おまけに、今後お目にかかれないレベルで綺麗な顔をしていたら。
 『身体を使って自分を売り込み、入学許可を得た』──などという、根も葉もない噂が流れてしまうのも、仕方がないのかもしれない。
「……それだけなら良かったんです。そういう噂は、今までも流されたことあったので……」
 この時点で既に卒倒しそうなルークとレオナは、続きを聞いて一瞬意識が飛んだ。
 彼女は最近、クロウリーを保護者としてスマートフォンの契約を行ったので、学生が皆やっているSNSができるようになった。とりあえずマジカメを入れた彼女は、自分や友達の顔はもちろん、グリムも体の一部しか写らないようにして、個人情報が特定できないように細心の注意をはらっていた。
 彼女はツイステッドワンダーランドに来る前、SNSを入れてはいたものの、自分が投稿することはなかった。親しい友達もおらず、外食や旅行などに行くこともなく、投稿したいことがそもそもなかったのだ。
 しかしここに来てからは、初めての友達もでき、周りにとっては当たり前でも自分にとっては当たり前ではない魔法があり、色々な発見がある毎日だった。
 インフルエンサーであるヴィルからも「どんなことがあったとか、何が嬉しかったとか、そんな内容でいいのよ。貴方は有名人ってわけでもないし、好きなことを投稿すればいいと思うわ。但し個人情報には気をつけないと駄目よ」と言葉を貰ったので、とりあえずやってみようと思ったのだ。
 印象に残ったこと、嬉しかったこと、困ったことなどを投稿する、日記のような使い方をしていたが、彼女のフォロワーは数百人単位でいた。ほとんどはNRCの生徒達である。
 彼等はユウの日記のような投稿を見ても「可愛いなあ」とニコニコしてしまうくらいには全員ユウの、正確には彼女の美貌の虜になっていた。
 彼女の投稿は彼女をフォローしている男共がバッチリチェックしていたが、誰もいいねや返信などを送りたがらなかった。影から彼女を見ていたいだけで、認知されたくないのである。
 しかしユウと親しい生徒、例えばエペルやデュースなどは、彼女の投稿にいいねや返信を送ることがあった。
 ユウも彼等のことは『同じ学校の生徒』ではなく『友達』や『いつも声掛けてくれる優しい人』と思っていたので、返信があったら反応を返していた。
 そして、それはヴィルも例外ではなかった。
 ヴィルは彼女の投稿を見てニコニコしている生徒の代表だった。彼女の投稿にいいねや返信こそはしていなかったものの、彼女をフォローはしていたし、また彼女も彼をフォローしていた。
 ──ヴィルのフォロー欄にいる、フォロワー数百人の一般人。
 日記のような投稿しかしないのに、フォロワーにはNRCの生徒達がいる。
 時折、そんなNRCの生徒とやり取りしている。
 これらの情報から、彼女が『NRCの女子生徒』なのではないか、という噂が広がり、また噂とともにこんなことも囁かれるようになった。
 『ヴィル・シェーンハイトを誑かしている』──と。
 世界で一番の『美しさ』を求め、高みを目指し努力を続けるヴィルには、女性ファンも多い。
 そんなファンの中には、いわゆる『ガチ恋勢』と呼ばれる人が存在する。
 彼女達からしてみれば、ユウは『身体を使ってNRCに入学し、ヴィル様を誑かす女』なのである。
 そんな真実とは程遠い噂が流れ始め、その噂はユウの耳にも入ってしまった。
 自分だけが悪く言われるならまだしも、ヴィルを巻き込むのは迷惑をかけてしまう。
 彼女は少しずつヴィルとの関わりを避け始め、ヴィルが「アタシ何かしてしまったのかしら……」と明らかに落ち込み始めた頃、オンボロ寮に一通の手紙が届いた。
 それは監視カメラの切り抜きとか、盗撮とか、そういったものとしか思えない写真数枚と、ユウへの誹謗中傷。写真の中には、ヴィルとユウが一緒にいるところという、明らかにNRC内で撮られたような写真もあった。
 誰にも相談できず、悩みに悩んだ彼女は、次第に「この顔がなければ」と思うようになった。
 彼女は元々、自分の顔が嫌いだった。ヴィルに声をかけられてからは少しだけ好きになれたこの顔も、今となってはこの顔のせいでヴィルに迷惑をかけている。
 だからあの日、彼女はサイエンス部に訪れて、猛毒の開発に勤しんでいた先輩に声をかけ、自分の大嫌いな顔を使って猛毒を手に入れ、何もかもどうにでもなれと自分の顔にぶちまけたのだった。
 すべて聞き終えて、レオナとルークは数秒間意識を飛ばしていたが、我に返ったルークが「……その話、ヴィルは知らないのだろう? 君もヴィルも悪くない。しかし、ヴィルには伝えるべきだと思う」と動揺を隠しながら言った。
「で、でも……」シェーンハイト先輩に今の話を伝える、迷惑をかけてしまう、シェーンハイト先輩はお忙しいのにこれ以上迷惑を、迷惑……。
 ぽろぽろと彼女の目から涙が落ちる。ルークが咄嗟に「すまない、泣かないでおくれ……辛いことを言ってしまったね。しかし君は理由があってヴィルと関わるのを避けているが、ヴィルは君に嫌われてしまったと思っている。君に何かしてしまったのかと落ち込んでいる彼を、私は見たくない……。理由があって避けていたのだと、そのことくらいは彼に伝えてはどうだろうか?」とユウの涙をハンカチで拭いながら言った。
 ヴィルがそんなことになっているとは知らなかったユウは、自分の判断で彼に勘違いをさせてしまったことに後悔し、ヴィルに迷惑をかけてばかりな自分が情けなくなり、更に涙が溢れる。
 更に泣き出してしまったユウと涙を流しながらユウを宥めるルーク。レオナがとった行動は単純明快。スマートフォンを取り出した。
「……あ゛ー、ヴィルか? 今すぐ空き部屋に来い」
『はあ? いきなり何? アタシだって暇じゃないんだけ──』
「き、キングスカラー先輩!」ヴィルと通話していることにいち早く気がついたユウが思わず呼び止める。涙で濡れた黒曜石のような瞳が見上げている。うっ……とスマートフォンを持つ手が震えるも、いやしかしこいつのためだと鋼の意思で通話を再開した。
『……ちょっと、ユウがそこにいるの?』
「そうだ。だからさっさと来い」
 ヴィルの返事を待たず、一方的に通話を切ったレオナは、不安そうに瞳を揺らすユウに「……お前の悪いようにはならない」と一言、彼女の頭を優しく撫でた。ユウは眉を下げて下を向いてしまったので、レオナは思わず「……勝手に呼んですまねェな」と謝っていた。悪いことをしたわけではないのだが、強引な手段だった。
 ルークは自分では彼女を説得できないと思っていたので、「ロア・ドゥ・レオン……強引だが、私もそれが一番良い行動だと思うよ」とレオナを称賛した。
「不甲斐ない先輩ですまない」と謝罪するルークだが、ユウも「わ、わたしも……すみません……」と謝罪するので、ルークはちょっと困って、「ノン、謝らないでおくれ。君が謝ることは何も無いよ。……レオナくんも言っていたが、悪いようにはならない。大丈夫だ」と頭を撫でる。
 ところで、ユウは誰かに頭を撫でられた経験がほとんどない。そのため、レオナやルークに頭を撫でられていると、何だか安心してしまうのだった。
 ──彼女には、父親がいなかった。彼女は片親で、母親に育てられた。しかし母親は彼女を育てるために昼夜問わず働いていたので、彼女はひとりでいることがほとんどだった。誰かに頭を撫でられた経験がほとんどないのはそのためである。
 だから自分より年上の男性に頭を撫でられるというのは、ほとんど記憶にない父親の影を感じてしまうのだ。
 つまり、純粋に、嬉しくて安心する行為だったのだ。
 ルークが頭から手を離すと、ユウがもうやめちゃうんですか……? と上目遣いでこちらを見てくるので、ルークは思わず天を仰いだ。あまりにも……あまりにもボーテ。世界は美しくないと先程思ったが、彼女はやはり美しい。
 ルークが感涙の涙を流しながらユウを撫でていると、駆け足とともにヴィルが部屋に飛び込んできた。
 泣いた跡があるユウ、頭を撫でているルーク、やっと来たかとこちらを見たレオナ。ヴィルは眉と目を吊り上げた。
「アンタ、ユウを泣かせたわけ?」
「違ぇよ、どちらかと言えばお前だ」
「はぁ?」
 呪い殺しそうな目でレオナを睨みつけていたヴィルだが、ユウが「シェーンハイト先輩、キングスカラー先輩はわたしが……巻き込んでしまっただけで、関係ないんです」とヴィルの袖を引っ張ったので、ヴィルは「……そうなの? それはアタシの早とちりだったわ。ごめんなさい」とすぐに謝罪してユウのほうを向いた。
 こいつ切り替え早すぎだろ……レオナはヴィル二重人格説を唱えながら、なかなか言い出せずにいるユウを見て、ルークを一瞥した。目が合った。
 ルークもレオナと同じことを考えていたらしい。
「……ヴィル、君は……ユウちゃんが、SNS上であらぬ噂を流されて、誹謗中傷を受けていることは知っているかい?」
「……は?」
 ユウと目が合った。彼女はすっと目を逸らした。反応を見る限り本当なのだろう。
「……何で? いつから?」
「少し前から……です。でも、噂とかは前も流されたことあるので、その、あまり気にしてない……というと嘘になるんですけど、仕方ないのかなって……」
 ユウに対するどんな噂が流れているのか。聞かされたヴィルは卒倒しそうになったが何とか持ち堪えた。この子が……何をしたって言うのよ。
 生まれ持った美貌に振り回され続け、それでも前を向いて美貌を磨くことにした彼女の何を知っているというのか。辛いことばかりの人生で、幸せになるために自分を変えようと努力している彼女を、ありもしない噂で貶して、傷つけて。
「……それで、彼女が君を誑かしている、という噂も流れ始めて、君のファンから……彼女が嫌がらせを受けているみたいだ」
「はぁ? 誑かしてる……って、アタシを?」
 誑かすも何も、初めに声を掛けたのはヴィルの方だ。そもそも彼女はNRCで遠巻きにされていて、積極的に近付こうとする生徒の方が少なかった。というかほとんどいなかった。
 憶測だけで物事を語って彼女を深く傷付けている人々を、全員まとめて呪ってやりたくなった。
「……今日、植物園で寝てたら、こいつが猛毒を顔にぶっかけようとしてた。だから俺が直前に防衛魔法を展開して防いだ。んで理由を聞いたらこれだったってわけだ。分かったか?」
 ヴィルは一瞬頭が追いつかなくて、はてなを浮かべた。
「……ごめんなさい、もう一度言ってもらっていいかしら?」
「こいつが猛毒を顔にぶっかけようとしてた」
 目の前にいるユウを見下ろした。一瞬目が合って、すぐに逸らされた。彼女の、アタシよりも美しくなれる可能性しか感じない綺麗な顔に、毒をぶっかけようとした……?
 ふら、とヴィルが後ろに倒れた。ユウとルークが悲鳴をあげて駆け寄る。

 天井と、覗き込んでいる顔が二つ。ヴィルははっと飛び起きて、あれアタシどうして寝ているのかしら……と考えて、ユウの顔を見て思い出した。
 レオナが防いでくれていなかったら、この国宝のお顔がなくなっていたかもしれないことに。
 しゃがんでいたユウの顔に手を添えて「本当に何もなくて良かったわ……」と心底安心した様子で呟くヴィル。
「ごめんなさい……色々と迷惑とか心配かけてしまって……」
 彼の手の上に重ねるように自分の手を添えてそう返したユウ。
 映画のワンシーンのようだった。至近距離で見ていたルークはあまりにも美しい光景に目を焼かれた。ボーテボーテと涙を流しながら暗闇を踊っていた。
 ユウがまさか手を重ねてくると思わなかったヴィルは、エッどうしましょうユウの顔がこんな近くに……いや近くで見ると本当に綺麗な顔してるわね……ずっとこのまま見ていたいわ……。とただただ彼女に見惚れていた。
 目元を押さえ、天を仰ぎながら涙を流すルークと、ぼんやりとユウの顔を眺めているヴィル。彼女が男共を誑かしているわけでは無いことはレオナももちろん分かっていたが、目の前の光景を見ていると、あんな噂を立てられてしまう理由も分かってしまった。それくらい彼女の美貌には人の目を惹きつけて離さない力が……『輝き』があった。
「シェーンハイト先輩、立てますか?」
 ユウが心配そうに聞いたので、我に返ったヴィルは「え、あ、あぁ、大丈夫、立てるわ」と立ち上がり、同じようにルークにも声を掛けた。
「心配をかけたね、トレ・ベル・エトワール。君が無事で本当に良かった。次からは、私でもヴィルでもレオナくんでも良い、誰かに相談するんだよ」
「……はい」
 おい俺を巻き込むな、いつもならそう思うレオナだが、今回ばかりはルークの言葉に同意していた。それはユウがとてもお綺麗な顔をしている女の子だというわけでは……ちょっとだけあるが、彼女の境遇が自分と重なるところがあったからだった。
 夕焼けの草原の第二王子という立場のレオナは、国からすれば扱いづらさMAXの存在であった。
 王であるファレナには子供がいるため、子供が王位継承権を持つ。
 王にはなれないが、王子という立場上怪訝にもできない、それがレオナだった。
 すべてをファレナと──兄と比較されてきたレオナは、触れたものすべてを砂に変えるという恐ろしいユニーク魔法を持っていることもあり、いつからか危険な人物として扱われるようになった。
 王宮の中ではあることないこと噂を立てられ、ヒソヒソ陰で色々と言われ、しかしそれらは彼にとっては最早日常茶飯事の出来事であった。
 すべては、『第二王子』という立場のせいである。
 その美貌のせいで理不尽な思いをしている後輩に、レオナは同情に似た何かを感じていた。
「……キングスカラー先輩、巻き込んでしまって本当にごめんなさい。……あのとき、魔法で護ってくれてありがとうございました」
 小さく微笑んだその顔を見下ろしながら、レオナは「……あァ。気にするな」と短く返した。というかそれ以上言葉が出なかった。
 尻尾の毛が逆立つのを感じた。
 ぺこりと一礼し、ヴィルの方に行ったユウの後ろ姿。夕陽を受けて輝く黒髪を見ながら、あれは苦労するだろうなァ、とレオナはぼんやりと思うのだった。
 さて、一件落着という雰囲気になっているが、何も解決していないのが現状である。
「ユウ、今から少し時間ある?」
「はい、大丈夫です」
「良かった、じゃちょっと付き合ってもらうわ。……大丈夫よ、貴方の嫌がることは何もしないから」
 ルークとレオナに軽く礼をしたヴィルは、ユウを連れて部屋を出ていった。彼等を見送ったルークが振り返ってレオナに謝礼し、サイエンス部の部室へと戻っていった。
 くあっと欠伸をしたレオナは、植物園にぶちまけられた毒をそういえば処分してないなと思い出して、周辺を全部砂にしておいた。証拠隠滅に便利なユニーク魔法である。
 ヴィルが向かったのはボードゲーム部だった。無遠慮に扉を開け、「イデア! いる?」と部屋を見回した。
 ガタン! 大きな音がして、部屋の中央、置いてあった双六の駒が床に落ちた。
「な、なななに!? 何の用!?」
 気が動転しまくっているイデアが振り返った。眩しすぎる美貌を持つ男、ヴィルが大股で部屋の中央までやってくる。怒っているようなその表情に、イデアは「えっ拙者なにかしましたっけ心当たりないんだけどなになになに!?」とパニックになる。
 イデアの向かいに座っていたアズールは、自分が勝っていた双六が台無しになり、もう少しでゴールできるはずだった駒を睨みつけていた。いつもなら文句のひとつでも言っているところだが、ヴィルの表情が只事ではなかったので言えなかったのだ。
 まぁ慌てふためくイデアさんの姿が面白いのでそれでチャラにしましょうか。イデアの目が助けを訴えていたが、アズールはガン無視して彼を観察していた。この薄情者! というイデアの声が聞こえた気がした。
「ちょっとアンタに頼みたいことがあるのよ。空き部屋に来て欲しいんだけど……」
「た、頼みたいこと? 何? ここでじゃ駄目なの?」
「……駄目ね」
 ヴィルは「し、失礼します……」とひっそり部屋に入り、自分の後ろに隠れるように立っているユウを一瞥した。
 そこで初めてユウの存在に気がついたイデアは「……!!?!」と椅子から飛び上がってそのまま床に転げ落ちた。あまりにも凄い音を立てて落ちたので、ユウが「あ、ご、ごめんなさい……大丈夫、ですか?」と恐る恐るイデアに手を差し伸べる。
 しかしイデアは突然目の前にヴィルよりも眩しい美貌を持つ女の子が現れて、しかも(イデアからしたら)結構近い距離にいたので、「エッ!? アッ、エ、え?」と言葉になっていない音を口から漏らし、彼女の顔を直視してしまい、石にされたように硬直してしまった。
 二次元の女の子よりも整った顔をしているユウが自分に手を差し伸べている。
 アッお顔が眩しい……こんな綺麗な女の子が拙者に手を差し伸べ……? は? 夢か? いや後ろに般若みたいな顔したヴィル氏がいるから現実か……ウワどんどん眉が吊り上がってる怖ッどうすればいいの!? 拙者どうすればいいの!? 助けてアズール氏! いやでも本当に綺麗な顔してるな…………。
 ユウの手を掴んで体勢を直すなどイデアにできるはずもなく、尻もちをついた体勢でただただ彼女を見上げていた。
 ヴィルが「ユウ、そんな奴に手を差し伸べなくていいわよ。イデアに貴方の手なんて掴めないから」と言ったので、ユウは少し悲しそうに手を引っ込めた。猛烈に申しわけなさを感じながら、ようやく立ち上がったイデアは「えと……それで用ってなんでしょうか……」と小声で言った。
「それは空き部屋で話すわ。ここだと言いにくいことなのよ」
「エッ……本当に何……? 怖いんですけど……」
 イデアはどう見ても乗り気ではなかったが、しかしどうしても彼が必要だったので、ヴィルは奥の手を使うことにした。
 ヴィルがユウをちらりと見る。ユウは彼が言いたいことが分かったようで、「その……」とイデアを上目遣いに見た。
「……駄目、ですか……?」
「全然駄目じゃないです、拙者にできることなら任せてください」
 イデアは反射的に答えていた。ぼーっと彼女の顔を眺めて、彼女がほっとしたように表情を崩したところで我に返り、しまった……! と後悔した。
「そ、じゃ行きましょうか」
「エッ、い、今のは違……」ユウがイデアを見上げた。「くはないから大丈夫。さあ行きませう」
 スタスタと空き部屋に向かっていくイデア。先程までは嫌がっていたのにえらい違いである。彼はもうすっかりユウの美貌に跪いていた。


初めての焼肉

「わいは!? 焼肉さ行ったごどがね!?」
 エペルは信ずらぃね、そったふといるの!? と目を丸くしてユウを見る。ユウはびくりと肩を揺らして「あ、ご、ごめんなさい……」と小さく謝罪した。特に悪いことをしたわけではないのだが、彼女は日本人なのでとりあえず謝罪したくなるのだ。
 縮こまってしまった彼女を見て、エペルは「あっ、こちらこそごめん……大きい声出して……びっくりしちゃって」とすぐさま謝罪し、今までどういう生き方してきたんだろ……と不思議に思った。
 何故焼肉かというと、事の顛末はこうである。
 ユウとエペルが廊下にいたとき、たまたまヴィルがやって来た。エペルはウワッと露骨に嫌そうな顔をしたので、ヴィルがちょっとエペル何よその顔はと眉を吊り上げたものの、隣にいたユウが「シェーンハイト先輩、こんにちは」と可愛らしい声で挨拶したので、「こんにちは、ユウ」と笑顔で返していた。
 変わり身早……。あの口うるさいヴィルをここまで虜にさせるユウの美貌を、エペルは少し恐ろしく思った。
 この時は昼休みであった。今までは食堂の隅、身を小さくして一人で食事をしていたユウも、最近はエペルという初めての……否、正確には二人目の友達ができたので、『友達と一緒に昼食を食べる』という人生で初めての体験をここ最近はしていた。もう何度かしているので人生初めての体験ではなくなったわけだが、細かいことは置いておく。
 ヴィルがニコニコしながらユウ(と隣にいるエペル)と話しているので、寮長がこった笑顔で話すちゅの初めで見だ……と物珍しくヴィルを見る。普段だったら「何? 何か言いたいことでも?」と高圧的な態度と表情で返すヴィルだが、今は終始ニコニコしていた。ここまでくると不気味だった。
 かつて、ヴィルは『美しさ』のことを『すべてを跪かせる力』と言っていた。エペルはそう言われてもピンと来なかったが、目の前の光景でなるほど、確かにそうだと思わざるを得なかった。
 ユウちゃんにデレデレな寮長、ちゃんと観察しとこ。エペルがユウと雑談しながら怖いくらいニコニコしているヴィルをガン見していると、エペルとユウの背後、ヴィルからしたら目の前、からレオナとラギーが歩いてきた。
 彼等に気がついたエペルが「あ、レオナサンとラギーサン。こんにちは」と挨拶をする。
「こんにちは、エペルくん」
「……エペルか」
 大きな欠伸をしたレオナは、隣にいるラギー、こちらを見上げるエペル、そして自分にペコリと頭を下げるユウ、最後に見たことがないくらいニコニコしているヴィルを見て、「……今夜、焼肉行くか」と言った。もちろんレオナの奢りである。
 途端に目を輝かせたラギーとエペル。単純な奴等だな……とぼんやり思いながら、レオナはちらりとヴィルに視線を移す。いつもなら眉と目尻を吊り上げて「はあ? エペルのこと甘やかさないで、っていつも言ってるわよね?」とキレてくる彼は、今は眉をひそめるだけだった。
「ほ、本当ですか!? やったー!」
「レオナさん、言質はとりましたからね!」
 適当に返事をしながら、レオナはヴィルとユウを一瞥する。ヴィルはムッとした顔をしながらも何も言わず、ユウは喜んでいる二人をぼんやりと眺めている。
「監督生、お前も来るか?」と誘われ、初めてユウは「えっ、あー……」と零し、実に申し訳なさそうに続けた。
「焼肉……って、わたし食べたことなくて……」
 それにいち早く反応したのがエペルだったのだ。
 驚いたのはエペルだけではない。レオナも「女の子でも焼肉は行くもんだと思ってたが、こいつは違うのか? まァ確かに行ったことなさそうな見た目だが……」とよく分からない感想を抱き、ラギーは「綺麗な女の子はやっぱり焼肉とかは行かないんスね〜」と謎に納得していた。どちらも偏見である。
 ヴィルだけは彼女の境遇、家庭環境などを知っていたので、「確かにこの子は行ったことないでしょうね。でも焼肉……イメージがわかないわ……」と焼肉を食べているユウを必死に思い浮かべた。やはり思い浮かばなかった。
「なら尚更だ。お前も来い」
 ヴィルがじとっとレオナを見るが、レオナは鼻で笑うだけだった。
 焼肉とかにこの子を誘わないでよね、でも行ったことがないなら一回くらい経験あったほうが……でも焼肉……この子を……。ヴィルが悶々と考えていると、ユウが「ええと……」と顔を上げた。ヴィルと目が合った。
 行ってもいいのかな? 期待と不安に揺れる瞳を見て、ヴィルは「……貴方が行きたいと思うなら、是非行ってらっしゃい。きっと良い経験になるわ」と落ち着かせるように優しく言った。
 エペルくんもいるし、キングスカラー先輩はシェーンハイト先輩と顔見知り? みたいだし、大丈夫……かな……? ユウは深呼吸して、レオナを見上げて「行きたい、です」としっかり言った。
「決まりだ」とレオナがユウの頭にぽん、と手を置いた。ユウは目を丸くしてレオナを見つめ、ヴィルは眉を吊り上げレオナを睨みつけた。
 これだけ分かりやすいのに未だに自覚無しか……こいつはめちゃくちゃモテるだろうし、恋人なんてすぐ出来るだろ。そん時のヴィルはさぞかし荒れるだろうなァ。レオナは確信犯だった。

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