産み落とされただけの命。
孤独。不安。
私は愛を知らない。
少し大袈裟なタイトルかもしれないけれど、アスペルガーとしか思えない両親の愛は夫婦間で完結しており。
その結果、産まれた命(私)に注がれることはない。
愛の結晶である筈の命に衣食住を与えてくれたことに感謝すべきなのか。
最低限生活と酷い束縛の元で、成人した命は
逃げるように、20で若すぎる結婚をして支配から逃げ出したが。
おままごとな結婚生活は4年で、メンタルの崩壊と幼子2人抱えて破綻した。
そこから約20年。
幼子は成人し、家から巣立って行った。
孤独。不安。
愛情の注ぎ口のない日々が始まった。
テレビの音すら妬ましく、静かな家はただただ虚無でしかなく。
生活の為働き、食事というよりはエサ。
時間に眠り、時間に起きる。
張り合いも何もない日々。
そんな生活に嫌気がさして、一緒に生活を始める、パートナーを探し同棲が決まった。
放って置けばいくらでも疎遠で居られる両親に報告をした。礼儀として。
「へぇ。別に興味もないけど。」
と、言われた。
「だよね。」
何を期待したんだろう。今更感想などあるはずもないのだ。
老いていく両親。
最後まで、愛を教わることはないのだと。
そして、私はパートナーに愛を注ぐことで、自らを循環させて動く。
歪んでいるのかもしれない。
私は産まれただけで、愛し方も愛され方もしらない。
私は愛を知らない。
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