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無料のコスト、有料のベネフィット

どうもみなさま。らぱんです。
頭の中で容量をくっていたことをこちらにアーカイブしていこうと思います。この記事は決して、無料セミナーの批判ではありませんし、有料セミナー参加しなさいという誘導でもありません。

主張を先に書いてしまうと、私は「その道のプロ」がもっともっと尊重され、活躍できる世の中になってほしいと願っていて、教えてもらえるならよろこんでお礼したいなと思っています。



私は今まで、ありがたいことにツイッターつながりで企画に呼んでいただいたり、小規模ながら自ら企画をすることで充実したツイッターライフ(?)を楽しんできました。アカウント作成時はまさかこんな未来が待っているなんで夢にも思わなかったです。人生ってわかりませんね…。

そんな貴重な経験の中で私なりに様々な知見を得た気がします。特に今回初めて、参加費を支払っていただく会を主催しました。その過程で考えたことをまとめておきたいと思います。色々と偉そうに書いていると思いますが、私ができているというわけではありません(笑)長いので、どうぞごゆるりとお付き合いください。
 

1 セミナーのビジョンの大切さ


この会にはどんな目的があって、どんな人を集めたくて、実際にはどんな人が集まりそうで、スピーカーはどんな雰囲気でどんな話ができる人で、参加後はどんな気持ちになってほしいか等、挙げればきりがないほ考える余地があります。

もちろん、参加者や講師に丸投げでも会は成立しますし、自由度が魅力な会もたくさん見てきました。ただ、それはあくまでも「講師の話題値が高い✖参加者のモチベーションが高い」ケースだと思っています。

講師の信と話題値とは抽象的ですが…ツイッターで言うならば、仲良しやファン(≠フォロワー数)が多い、実践が優れている、著書がある、Tweetの投稿や返信でなんとなく人柄が推測できる(逆に全く推測できない)など。

参加者のモチベーションは、一般的には企画の趣旨と講師の話題値の関連性が高いほど上がる、というよりはモチベーションの高い参加者が集まりやすいと考えられます。(逆にキャラ付けがはっきりしている人が意外な話題を話すことを売りにするのも関心度アップしそうですが)

つまりは、「話したい!」と「聴きたい!」が上手くマッチングすればお互いに幸せな会になるという至極当然な話です。

そのためには主催者側のビジョンが大切です。できるかぎり具体的に、解像度を上げて。そして講師と可能な限りシェアします。講師側も漠然とした依頼では考えることが多くて負担が大きくなりますし、核心に触れる前に時間がきてしまうということも起こりえます。



2 無料の功罪について

ZOOMが爆発的に普及してからというもの、離れた地域にいてもネット環境さえあれば有益な話を聴くことができるようになりました。こんな幸せなことってあるでしょうか?有名な方、活躍している方のお話が、ノーメイクで寝起き10分後でも拝聴することが可能になったのです(極端)!

私も休職中という身でありながら、現職の先生方のリアルな発信を受け取り、そして学校に思いを巡らせることができるのです。これは本当に物凄い変化です。

そして何よりも凄い動きだと感じたのは、休校中の先生方の助けになれば、というボランティア精神と、場所代等諸経費がかからないという条件もあり、無料で参加できるZOOMセミナーが数え切れないほど開催されたということです。

ただ現状、コロナももう1年以上収束しておらず、おそらく今後も年単位で付き合っていくことを考えると、このままボランティア精神に頼りきりでいいのか?というモヤモヤも私の中にあります。

それでも、主催側・講師側に無料であることに意図があったり、副業の関係や企画の趣旨等で無料なのでしたら喜んで参加させていただきます。こんなラッキー他にないですからね!

しかし、特に企画者側が頭の片隅に入れておきたいことは「準備や発表のコストはただじゃない」ということです。

例えば、「仲良しの講師に、好きなことを自由に話してももらえばオッケー!」みたいな企画があったとしても、そこにはその人の時間を奪うというコストが掛かっています。その人が生きてきて学んだことをアウトプットするという労力がかかっています。その人に「借り」ができます。

講師を経験したことで、話す練習になった!とか参加者に感謝してもらった!ファンが増えた!みたいな経験的なことは、あくまでもその人が頑張った副産物に過ぎません。

ここまで書いて、これって教員の働き方(働かされ方?)によく似ていると感じてしまうわけです。「子どものためなら無理できちゃうでしょ?」「好きな教科教えているんだから、時間も費用も与えなくても勝手に自己研鑽するでしょ?」

あ、いや、これらがイコールがだと思っているわけでは決してなく、私が自分の過去を投影しているだけなのです。でも、そういう経験のある方ってツイッターにもたくさんいらっしゃいますよね。

ちょっと話は逸れますが、こんな経験があります。それは初任の私が未経験の某ラケット競技の部活顧問をしていたときのこと。(*フェイクあり)

その部活には、「ボランティアで」練習にきて技術指導をしてくださる方がいらっしゃいました(指導員の登録人数に制限があったのです)。私が赴任する何年も前からいらっしゃり、当然生徒や保護者からの信頼もありました。技術指導のスキルの高さもさることながら、人間的にも非常に立派な方で、「こんなに心強い事ってある?!幸せすぎる!」と存分に頼ってました。実際幾度となく助けていただき、今でも感謝しています。

上手くいっていて、信頼関係が続いているときには特に問題はないのです。

問題は、トラブルが発生したときです。紆余曲折あり、「顧問を通さず練習試合を組まないでほしい」と伝えなければ行けない時がきました。

そのとき「俺はこんなにお前たちのことを考えて、あなた(らぱん)が来る何年も前からこの子達に関わってきたし小学校時代から教えてきた。質の高い練習をいつも考えて大会でも勝たせた。貴重な休みの日を潰してまで来ている。しかも無償で!あなた(らぱん)は素人で何もできないし、あの子達も親もあなたより俺を信頼している。これは俺のチームでもあるのに、どうして制限されないといけない?」

といわれたのです。私は素直に力不足を申し訳なくなったとともに、「この方の善意は、無償だったけどコストがかかっていたのだな」「無償だったことで少しずつ心が消費されていったのかもしれないな」と痛感したのです。

つまりは、問題はその方ではなくシステムであり、有料なら「◯円でできる範囲でがんばればOK」と線引きが可能だったものを、無償であったことで「タダでやっているのだから自分の意見が優先されて当然。感謝されて当然」と思わざるを得ない状況に、その方を追い込んでいたのではないかと私は思っています。

ボランティア精神や善意を頼り切ることの危うさがある。無償でこそのリスクが存在すると私は感じるのです。同じようなことって、教育現場にありふれているとも思っています。



3 有料のベネフィットについて


これまでは、なにか企画するときに「みんな無料が嬉しいに決まっている」と思い込んでいたところがあります。学生さんに関しては、収入が限られているという点で例外かもしれませんが、大人になると、そりゃ価値のあるものをタダで手に入れられたら嬉しいですが、一方で「価値があるものには対価を払いたい」みたいな欲がどこかにありませんか?

それは、心惹かれたストリートミュージシャンに投げ銭をする行為に似ていて、その活動を応援する意味や、活動の持続可能性を上げるという意味も含まれています。「素敵な体験をありがとう」という感謝を伝える行為でもあります。

企画に参加するときにはこのマインドは少し形を変えてモチベーションに影響するのです。わかりますよね?そう、「お金を払っているのだから元をとりたい」という心理です。ちょっと違うけど、サンクコスト的な。

自己啓発的なセミナーでは効果が分かりかねますが、スキルアップについては特に有効だと思います。聞き逃したくない!この場で理解したい!と前のめりで参加できますし、このためにお金を払っているんだから質問も遠慮なくできます。私の経験則ではありますが、お金を払って受けた会の記憶と記録は、そうでないものと比較したときに鮮明に残っています。

そして言うまでもなく、講師のモチベーションにもなります。教える側のモチベーションで授業のの質が大きく変わることは、先生方であれば容易に想像できますよね。




さて、ここまで読んでくださった方はかなりレアだと思います。本当にありがとうございます。お一人おひとりとお茶したいです。

繰り返しになりますが、最初に戻ると、この記事は決して、無料セミナーの批判ではありませんし、有料セミナー参加しなさいという誘導でもありません。

私は、「その道のプロ」がもっともっと尊重され、活躍できる世の中になってほしいと願っていて、教えてもらえるならよろこんでお礼したいなとおもっているだけです。


ではでは~~

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