20220519 #「しなかった」をほめる

今日も午前中だけ復職プログラムへ行ってきました。

リワークは週5で1日いたので、負荷が軽くなりすぎないよう、午前だけで終わる日は午後も何かしらの活動を入れるようにしています。

今日は校内掲示物を作りました。
とてもよく出来たと思います。校長先生にも「お願いしてよかった!」と言っていただけて嬉しかったです。

改めて、仕事って誰かの役に立つことだよなぁと実感しました。

ただ、私(復職者)にとってはこの「役に立ちたい」ともすれば「役に立たなくてはいけない」みたいな感情って一番厄介です。

メンタル系の復職者は基本的に医者から「頑張りすぎてはいけない」と忠告されていると思うのですが、この忠告を守ろうとすると「役に立ちたい」という願望は大抵満たされないからです。

そもそも、リハビリ勤務は休職中扱い(=無給)ですし、役に立つ人材としているわけではありません。何か起きたとき責任を取れる立場ではないのです。そのため、役に立つ以前に「迷惑をかけない」練習をする必要があるのです。この大前提を周りと、何より本人が強く自覚することが大切です。

決して自分や今の立場を卑下するわけではないのですが…このメンタルを職場で貫くのはかなり難しいので強めに書きました。


度々引用する漫画『左ききのエレン』では、「仕事に『頑張ったで賞』は無い」と出てきますが、限りなく「頑張ったで賞」に近いものが存在するのが学校・教員だと私は感じています。

やる気、全力、一生懸命さ、返事、あいさつ、声の大きさ(物理)、朝早く来る、夜遅くまで残る、「やります!」と言う、他人の仕事を手伝う…

これらが出来る人を「あいつ頑張ってるな」と評価する傾向があります。

今の私は、これの逆を行く必要があるのです。理由は頑張りすぎると持たないから。やる気があると周りが勘違いしないように。

今日できたことを羅列します
・あいさつの声を前回より小さくした
・一人一人に挨拶して回るほうが印象いいんだろうなと思いながら今まで一切していない
・作り笑顔をしない(マスクで隠せて最高)
・学年の島の雑談に加わらない
・必要がなければ自分から話しかけない
・手伝ったほうがいいと分かりつつ手伝わなかった(他の人がやりそうだった)
・退勤時間ギリギリで出来そうなタスク発生していたけどスルーして帰った

今日も「頑張らない」をがんばった。
私はとってもえらいしかわいい。



思いつきメモ

うつ関連疾患の「寛解」を一般の人に説明するとき、コロナを例えに出せるかもしれない。

今からbeforeコロナに戻ることはできないけど、それは必ずしも悲しいことや残念なことではなくて、不便さはありつつもafterコロナなりの「新生活様式」を送ることができている。寛解も同じで、発症前の自分には完全には戻ることはできない。でも、新しい生き方として再発しないように軌道修正しつつ生きていける、みたいな。

イメージ沸きやすいだろうか。


おわり



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