20220508 #不幸依存
昨夜に久々のらぱいんざworldがあり、それはそれはグダグダとお話しました。とても楽しかったし身にならなかった。
こういうのがいいな、と漠然と思った。
そして目が冴えて眠れなくなった。
「自分より上にいかないような人」を好む人って一定数います。無自覚な人もきっといるし、教員にもいる。子どもを、やがて成長して自分を越えるかもしれない存在として捉えられない人。無自覚のうちに、そういうメッセージをゴリゴリに相手に送ってる。私もそうではないとは言いきれない。
他人の不幸や大変なことに対して、無責任にやさしくなれるのはSNSの良さでもあると思う。そしてそのやさしさに救われる人もいる。でも、その「いいね」に現実を変える力はほとんどない。最終的に覚悟を決めて行動するのは自分。
不幸には依存性がある。
見えやすい例だと「疾病利得」と呼ばれるもの。簡単に言うと、病気に罹ることで得られるもの。単純に休暇だったり、他人からの慰めや何かしらの免除だったり。そして、その利得を得続けるために病気のままでいたいと思い、病気のままでいられるように働きかけてしまうことをミュンヒハウゼン症候群と呼ぶ。(現在は「自らに負わせる作為症」と呼ぶそう。)
「可哀想な自分」でいる状態は本人にとって不幸に違いないが、慣れてしまえばその状態が生あたたかい泥の湯船に浸かるように、ある意味居心地が良くなってしまうのかもしない。
さらに、『「自分より可哀想な人」に対して優しくする自分』にすがり、その状態を維持しようと働きかける人もいたりして、ちょっとしたカオス。
こんなことを考える度に思い出すのは、「アルプスの少女ハイジ」のクララ。(多分実際のアニメからは大分脳内改変されていると思う)。
医者からは、もう足は治っていて歩けるかどうかは本人次第という状況。自分の現在と比較し、私もそろそろ立ち上がらないといけないなと心に刻む。
(らぱいんざではこんな話一切していないのでご安心を(?))
おわり
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