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【続・私たちは食べたもので出来ている】にほんじんになりました

私たちは本当に食べるものでできている。
以前そういう記事を書いた覚えがある。
それがこちらだ。

福岡さんのいうところの動的平衡の世界。
1か月もすればまるで別人になるという。
それはつまり別の粒子に置き換わるということなのだけれど、それだけでは説明がつかないほど別人になることを実感した

どういうことか?

帰国して3か月の変化

帰国してしばらくの間、私はなぜここにいるのか?わからないような不思議な気持ちを持ち続けていた。
先日も書いたスケジュールが管理できないのもその一つ。
ラオス人だから
と茶化して誤魔化しているようで、実はマジでそんな気にすらなっていた。

自分から発するだけではなく、
「ラオス人やねぇ~」
と言われることもしばしば。
それは単にスケジュール管理ができないということではなく、なんとなく全体の雰囲気が昔と違っているように捉えられたのだろう。

ネットを通じて知り合った人も最初の内は思った通りという感じ。
つれて行ってもらったカフェの店長さんは
「ラオスから来た友人」
と紹介された私の事をしばらくラオス人だと思っていたくらい。
しばらく店長交えて友人と話した後に、
「日本語上手ですよね~」
って言われて絶句!
「いやいや日本人だって!」
「え!?ほんとに日本人なん!?」
ってやり取りで誤解が解けることに。

「え!?うそでしょ?冗談でしょ?」
って私はその時心の中でつぶやいたけれど、どうやら私はその時まだ日本人に戻れていなかったのかもしれない。

ところが帰国して2か月を過ぎたあたりから、会う人の反応に変化がでてきた。
特にラオスからネットで知り合った人たちに出会うと、
「え!日本人やん!」
という反応。
「思ってたより都会の雰囲気」
って言われると、ひげを生やしてぼろのジーンズで登場した方がよかったかもしれないな。なんて気持ちになってくる。

容姿だけではない

ところが、おそらくひげを生やして、ぼろのジーンズを着ても、ただ不潔な日本人としか捉えられないだろうと思う。
中身が日本人に戻ってしまったのだから。

あれほど分からないと嘆いていたスケジュールも残念ながらこなせる用になってきた。なるべく止めてはいるものの、実は全然余裕で出来るようになっている。

一方でクリアだった頭の中が少し淀んでいるような雲がかかったような、ぬるりとした頭の中が戻ってきている。

ラオスでクリアな頭と胃腸を経験しているから、なおさらこのヌルリとした頭の中とクリアな差が分かるというものだ。
日本にいるときでは気づかなかったけれど、これが日本にいるときの通常の頭の中なのだろう。
そして、不意に先の事を考えてしまう。明日の心配をしてしまう。

食べ物の変化

この影響の多くは食べたものにあると思われる。
前回の食べたもので出来ているという記事は、あくまで肉体を構成する粒子そのものが、瞬時新しいものに置き換わっているため、1か月前の私とは文字通り違う人であるという事を描いた。

しかしどうもそれだけではない。
自分の体の微生物が大きく変化していることにも起因すると思う。

人の体は9割が細菌
という本もあるくらい、人間の細胞と人間の中にいる細菌では細菌の方が圧倒的に多いのだ。
人の性格が微生物の影響を受けないわけがない。
そして微生物もまた動的平衡よろしく、激しい勢力争いのもと一瞬一瞬そのコロニーが変わっている。

日本にいると、ついついちょっと一品総菜を買ってしまう。
お酒を飲んでしまう。
手軽にちょい買えるところが多すぎる。
お付き合いでも食事が多いし、
せっかくならと外に出たら外食で済ませる事も多々。
そしてそれにあらがえるほど私の精神は強くない(笑)
ま、以前ほどなんでもって訳じゃなく、時々なんですけどね。それでもきっと食べすぎだ。

「食べたい衝動に駆られる」ほどストレスも感じるのだろう。

そしてその時食べるのは
草でもなく、虫でもない

そんなわけで、帰国して3か月。すっかり日本人になりました

ただ少し違うのは、以前は、重たい胃腸も、ぬるりとした頭の中もわからずにそのまま埋没していたのだけれど、この状態がクリアでないということを自覚しているということ。

だから、時々リセットする。
ふと気づき、先を見る事をやめる。
食べるのをやめる。
空から自分を見てみて、何をそんなに真剣なってるん?と笑う。
まぁ失敗してみなっせ。ぼぺにゃんぼぺにゃんと言ってみる。
公園をランニングして木々にふれる
大きく深呼吸し、今の現状に感謝する

さぁ今日も一日何となく過ごそう。


サポート頂いた場合は、食べれる森作りを中心に、南ラオスの自然を大切にする農場スタッフのための何かに還元させてもらいます。