見出し画像

東電もうちょっと待ってな🫶

みなさまご機嫌よう、スーンのお嬢様担当・るいです。

この時点で面白くなかったらもう「ではでは(^ ^)」まで飛ばしてください。
ばーって書いたら思ったよりくっそ長くなってしまったので。


ちなみに昨日、ユニちゃんと今度古本屋巡りをしようという約束をしたのでテンションめっちゃ上がってます、楽しみ📚

僕は元々本屋とかをぶらぶら歩くのが好きで、新宿の紀伊國屋を歩けば俺にあたると昔から言われています。
本屋ってテンション上がるよね。一冊の本が一つの世界だとすると、本屋に行くとたくさんの世界への可能性が転がってるって感じがするよね、(?)

最近もリアちゃんと新宿の紀伊國屋に行ったばっかりです。
んで、その時に思ったのは、最近書店に並んでいる本の中には、「教養」とか「知性」が身につくとか、「賢く見せるためには〜」というようなフレーズがでーんと押し出されているものがちらほらあるなってことです。
別に最近じゃなくても昔からそうかもしれんけど。

良くも悪くも、教養とか知性って言葉は人目を引きます。

え、知性ってなんなのさ


少し前に、PERFECT HUMANさんが「おれで笑うには知性がいるからね」と言ったのがすごい物議を醸していました。
あっちゃん、いつもの以上のことをやってくれたわけだ。

でも、少なくとも知性的でないっていうのはこういうことなのかなーって思います。
世の中複雑なことばっかりで、いろんな対立する利害や価値観の摩擦の中でオイラたちは生きていかないといけなかったりします。

その煩雑さに耐えきれなくなった人が「AでないやつはBだ!!」とか「チーズ牛丼食べるやつは!!」とか言い出すと思います。

シーシュポスの神話

最近読んだ本にカミュって人が書いた「シーシュポスの神話」ってのがありました。
本の題材はギリシア神話です。
元の神話では、神様を怒らせた主人公に対して、重い石を山頂まで転がし続ける罰が与えられます。主人公は頑張って石を押し上げるのですが、石は山頂につくやいなやまたゴロゴロ落ちていきます。主人公はこれを無限に繰り返します。
エグい罰です。

読みながら、神様の顔が高校の部活の顧問で再現されました。
あいつもトラック6周させた後にグラウンドでシャトルランさせてきたもん。

で、この罰を与えられたシーシュポスと人が生きるということを重ねて、人の生とはなんなのか考えるみたいな重たーーーい話でした。
読みながら地面に埋まりかけた。

でもカミュは、高岡高校サッカー部員もとい主人公は幸福だって言います。

は?

なんでかっていうと、この世に幸福がある限り、不条理はどうしてもあるものです。太陽があれば影があるのと同じように。
不条理に押しつぶされずに向き合うことが、人間が不条理に打ち克つことであり人間の幸福だって言っています。幸福も不条理もあるということを丸々飲み込んで、自覚的になって生きるべしだとさ。

うーん。

結局何が言いたいねん

どうしても目の前のことが辛いこともあるやん、逃げたいこともあるやん、とは思います。美学的すぎやしないかい。

でも、「この世の中にはいろんな人がいて、とっても生きづらい時もある」ってことはある意味不条理なことです。
そしてその不条理さ、めんどくささに耐えられない人たちが、「こういうやつはこうだ!!」みたいなレッテルを貼って楽をしようとします。

こう考えたらオリラジの発言とシーシュポスの話の共通項が見えてくるなって思いました。
それは「煩雑なことから逃げずに向き合うことが、人を知性的に、すなわち人らしくしてくれる」ってことです。

みんなもサボっちゃいたくなるときあるかもやけど、そこで一歩踏み込んで色々考えてみることがみんなをよりカッコよくかわいくイケイケにしてくれるかもしれません。

時にはサボらずにがんばろって話やな。
東電からの電気代の葉書3週間ガン無視しながら投稿っと。

ではでは〜(^^)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?