![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/27104321/rectangle_large_type_2_957022092ca42007faa492680ee12ce5.png?width=800)
440㎐
自粛が緩まったせいなのか、裏山でトランペットの、音階を練習する音が聴こえなくなった。
畑仕事の合間、純粋に指遣いや息の使い方を機械的に練習する、音楽ではない音を聴いていた。
音の主はたぶん、地元の中学か高校の生徒さんだったのだろう。
学校が再開したのかな。音楽室や部室で、練習できるようになったのかな。
寂しい。
その音になんで執着してるのか、自分では分かっている。
管楽器のチューニングのAの音、音階練習、何度も繰り返しさらう数小節。
昼休み、体育館がわりだった武徳殿の裏から聴こえていた京都の芸大生の鳴らす音が脳みその中で再生されて、それを聴いていた一人の高校生に引き戻される。そんな、時間や場所が虹の色の際のように曖昧になる瞬間がたまらなく好きなのだ。
そんなのは特別なことじゃなくて、きっと誰にでも、過去のある時の自分に引き戻されるきっかけとか呪文みたいなものがあるだろう。(もしかしたら未来に飛んでいくスイッチなんてのもあるのかもしれないが、それはまた別のお話)
オケの練習が始まる前の、Aの音、440㎐。少しの緊張と集中が大教室を独特の空気に変える。
田舎暮らしを始めて、初夏の夜に聴こえてくるカエルの大合唱がほんとに心地よいと思う。そして、それって何種類もの楽器をそれぞれにチューニングするざわめきに似てるんだと思う。
私は高校で作曲を専攻していた。挫折して外れた道なので哀しくて辛いことばかりの高校生活だったのに、裏山のトランペットは素敵だった。ヒトの心は訳がわからないと時々思うが、自分の心も儘ならない。
なので未だ募集してます。うちの圃場、もしくは裏山で、楽器の練習したい人。演奏ではありません。練習していてほしいんです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?