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名CM考Ⅱ 第六四回 1985年 東芝 「日本語ワードプロフェッサー JW2」/「Rupo」

私達がコンピューター上に英語ではなくこうして日本語を書き込めるのは「日本語ワープロ」のソフトが入っているからです。その日本語ワープロの発明者は東芝で「JW10」というもので商業化は1979年です。お値段なんと630万円。現在の価値に直すと約1900万円!?まぁそれじゃCMはないよなw

なので原型に近いものを持ってきました。


この日本語ワープロを発明した人、その後湘南工科大学に行くのですがどうなったと思います?なんと発明の対価が低すぎるということで東芝を提訴してたのです。

これだから東芝は……。

それまで日本語ワープロが無い時代は和文タイピストと言っていちいちハンコのようなものを押しながら業務用文章を作っていたのです。それがたった26文字のアルファベットで済む欧米圏との違いです。中にはカタカナで済ます商社もあったのですが……。

タイカヲトリニイク

では、

「対価を取りに行く」のか「滞貨を取りに行く」のかの区別が付きません。
要は古い時代の電報と同じですね。それが予測変換という発想で成し遂げたのがこの日本語ワードプロフェッサー所謂ワープロです。

我々がワープロ専用機として想像する形になったのは1985年の「Rupo」登場からです。まだまだ1984年以前では「これ、パソコン?」と言われるほどワープロ本体が大きいものです。

(例)1992年のワープロ版東芝RupoのCM。まだ画面が白黒なのに要注目。価格は23万円かぁ……。初号機より約13万円も高いやんけ(物価も考慮すると約2.5倍の額か?)。余計な機能を入れたからこんな価格になる。これ(白黒画面)でWindows95発売の3年前の出来事です。これを買ってしまった人の未来はお察しください。「3行革命」かぁ。ネーミングセンスねえなぁ。この辺の時代から日本国自体が「負けて行く」証明のCMとなっている。シンプルのみを追求すればワープロは機械自体の生産が継続されたのかも。2万円くらいの販売金額になれば。

この日本語ワープロは東芝青梅工場で作っており1985年版のCMの最後にも登場する「Rupo」はその後世界初のノートパソコンに進化します。この青梅工場は東芝の例の粉飾決算で大赤字となって売却、閉鎖され今ではショッピングモールや倉庫となりました。東芝って会社は本当に万死に値します。フラッシュメモリの発明の時もそうですが実は東芝という会社はよく発明者から訴訟を起こされてるんです。こんな事例、ほかにはないです。異常です。なお「Rupo」事業はシャープに売却。つまりシャープの親会社は台湾のホンハイですから台湾資本のものになったのです。もう「Rupo」は日本のブランドじゃない。

つまり、技術者を全く大切にしないどうしようもない会社って事です。もうこのころから実は東芝という偉大な会社の死が見えてたんですね。

1989年頃にはなんとワープロ専用機の性能が低価格帯PCを上回ることに成功します。本当に当時の日本は未来だったんですね。しかも当時のワープロ専用機には表計算ソフトや簡単なゲームまで入っていたのです。しかしこのころがピークで1995年のWindows95の登場にとって一気にワープロ専用機の需要が激減。2000年頃に発売されたシャープの書院を最後に日本語ワープロ専用機はこの世から消えるのです。こうして日本はまたしても重要な産業が消えてしまったのです。

悲劇はそれだけではありません。実は日本語ワープロ専用機とWindowsオフィスソフトの互換性が全くなかったのです。よって膨大な文章が消えたり、一からマイクロソフト・ワードで文章打ち直して作り直したりしたのです。日本経済が本格的に「負けた」瞬間です。各メーカーは後から互換ソフトを発売するも文字化け等が多発しました。役に立ちません。

そう、日本語ワープロ専用機とは究極のガラパゴスだったのです。日本の電機産業体というのは「OSを取られる」とはどういう意味だったのかすら当時分かっておらず気が付いた時にはもう遅かったのです。要はWindowsで動く日本語ワープロソフトで動きさえすればいいだけの話でハードの問題ではなかったのです。「Rupo」という本体価格が10万円を切った1985年ともなると。そんな事にすら日本企業は気が付かなかった。1995年頃までオフィスにPCがほとんどなかったのですからね、この国のオフィスの光景は。置いてあったのはほとんどがワープロ専用機だったのです。そのくらいのアナログ国家だったのです。
なお、PCで動く日本語ワープロソフトなら当時はジャストシステムの「一太郎」というものもありましたが同じくマイクロソフト・ワードに駆逐されて行きます。OSで覇権を取らねばダメなんです。

こんな風に負けて行くんだよ、日本企業は。たぶん。


それでも2000年に書院が販売されたのは放送作家とか職業作家などが「ウチは手慣れたワープロじゃないと駄目なんだよ」というワガママ需要から来てます。おかげでまたしてもここでも打ち直しなどの悲劇が出ます。

これらの作家・脚本家ってその後2005~2010年頃にどうしたのでしょう?というか2001年のWindowsXPの頃になるともうワープロはほぼ見かけません。当然ワープロの寿命は早くて5年、遅くても10年です。まさか修理しながら文字を打っていたのでしょうか?

名CM考シリーズで絵を付けるこれが初めてですよ。当時の世界最強オフィス機器であったワープロ。それが破れて行くのは当時の最強軍団なのに時代が読めなかった勝頼みたいに見えてね。

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