名J-POP考 余談 このエッセイがシティーポップ曲で締めくくる理由

いよいよ残り9曲となりましたよね。残り9曲をシティーポップで締めくくりたいと思う。

「シティーポップ」がまだ「ニューミュージック」と呼ばれたころ日本はまだ学園紛争のさなかだった。そして学園紛争敗北と同時に若者はしらけて消費生活に溺れてしまった。これが「しらけ世代」の語源です。現在65~69歳になっております。この時代まだアイドル全盛・演歌全盛・大衆歌全盛で洋楽と並ぶクオリティーの曲なんて数えるほどしかなかったし、人気もなく知る人ぞ知る音楽になってた(音楽オタクはともかく)。「『プラスチック・ラブ』だって?知らねーよ。竹内なんて『ケンタッキーおばさん』だろ」というのが世間の冷酷な評価です。

つまり「シティーポップ」とは当時の若者の逃避の象徴だったんです。

その消費社会の曲がタイアップ曲として結びついてバブル期に一気にメジャーになったのは必然です。

その原点を知る事って大事です。だって、消費社会も成り立っていかなくなって来た「失われた10年」が明確になり始めた頃からJ-POPは確実に衰退期に入ったので。つまり高度消費社会の次の社会を日本人は構築できずに「握手券商法」と言う禁断の手を使って音楽自体がオワコンになったのです。

原点を知れば復活の糸口も見えるはず。

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