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食品のCMで子供たちが出なくなったらその国はオワコン

なるほどね。昔はこんなCMがあったのか。

1992年 丸大食品 チキンバー

別に子供を出さなくてもいい商品なんだけど子供が多数出てる。これまだ国が若い証拠です。もっとも1992年なんて相当高齢化が進んで居ましたがちょうど1973年生まれの団塊ジュニアが18歳に達して受験戦争のピークに達したので世間は「少子化」という自覚がないんです。だから子供が多数いると錯覚する

つまり1992年って少年・少女が多数いると世間が誤解した時代なんですよ。

で、こういうCMが消えた時には時すでに遅しなんですよ。ちなみに肉消費量のピークは1996年がピークです。もう高齢者になると「肉はもう結構です」となるんですね。なぜなら50歳ころになるともう脂肪肝になる人が3分1ほど居て油消費を極力止めなさいと医者から言われちゃうんですね。

今のTVを付けてください。もうそこらじゅうで高齢者に訴求したCMになってますから。そりゃ65歳以上の高齢化率が30%、60歳以上の高齢化率が40%、国民平均年齢49歳、国民メジアン値が47歳って国ですよ。終わってますよ2024年の日本は。ゆえに「丸大食品」のCMって消えましたよね。

高齢者に向かって

「大きくなれよ」


なんて言えないですからね。小さくなるんですから、高齢者は。

・出版市場ピーク 1996年
・肉消費量ピーク 1996年
・水道消費量ピーク 1998年
・米消費量ピーク 1962年 洋食化が原因で唯一ピーク期が大幅にずれる
・国内新車販売台数ピーク 1990年 バブル崩壊が原因で6年早くなった
・水産物消費量ピーク 2001年 肉消費の5~6年遅れで来る

とこのように日本の場合もう人口ピークでもう売り上げが予測できるのです。移民入れるわけじゃないしかと言って少子化は改善しないし。

2024年にこの丸大のCMを流したら世間は仰天しますよ。特に地方ほど
オラの村さ、子供1人も居ねえべ」ってね。


この図で要注意なのは当時は「60歳から高齢者」としていたことだ

高齢化が進んでいるとは言っても1990年当時19歳以下の人口比率は実に26%です。ちゃんと国は14歳までの年少人口とは別に事実上の年少人口比率を持っていたのです。1992年じゃ1990年とほぼ変わらないので載せます。1992年といえばまだバブルの匂いがあちこちに残っていた時代です。

しかしこの40歳代中盤の人口がすさまじいですね。まさに団塊パワーです。

戦後47年ですからね。まだ戦後は50年に達していないのです。

この1990年から1992年が少子化改善のラストチャンスだったのです。


もう一つ気が付いたでしょうか。なんと高齢化率が12%なんです。まだ当時は高齢化社会、つまり高齢化が進行していた社会だったのです。そして75歳まで到達できた人はあまりおりません。後期高齢者率はたったの4.8%です。男性平均寿命75歳、女性平均寿命81歳なので男性は75歳の時点で約半数がもうあの世に旅立ってしまってます。そういえばこの時代ってあまり老人ホームって聞きませんよね。ピンピンコロリと逝ってたのです。「PPK運動」と言って。当時の80歳って1912年生まれですね。つまり明治45年生まれ・大正元年生まれがまだゴロゴロ居たのです。信じられないでしょ。

PPK運動は今は不謹慎ですが当時の歴史用語として残して伝えます。

筆者注

ちょうどこの年に「きんは100歳、ぎんも100歳」(ダスキン)なんてCMが出ました。当時100歳を超えるのはとってもおめでたい事だったのです。今じゃありふれていますが。

そりゃ丸大食品という会社は10代向けに訴求しますよね。しかも「お弁当用」にすら訴求してないのです。このCMはお子様向けパーティー用として作ってるんです。豊かな時代ですねえ。当時は弁当昼飯なんてむしろ貧乏の証だったのです。

子供向けに訴求していた理由はもう一つあります。この人口ピラミッドをよーく見てください。第二人口ピークが16とか17になってますよね?1992年だと18になってます。そう、数年後に本当なら結婚適齢期になると見込んでいたのです。

つまり1995年頃にベビーブームが来ることを見込んでわざと年少をCMに登場させていたのです。丸大と言えば「大きくなれよ」ですからね。

ですがかないませんでした。そう、就職氷河期世代ですよね。運よく1992年高卒で就職した団塊ジュニア世代はどうなったのか。所詮高卒です。厳しい現業職で数年後に辞めていきます。当時の若年離職率は3年で50%です。その後二度と正社員にすらも上がれなかったなんてザラでしょう。だって1997年って金融危機だぜ? バブル期と言えども所詮は高卒。現業職ですよ。それどころか現業からリストラしたんですからね、この国。まだホワイトカラーは余っていなかったのです。今と全然逆ですよね。だから我も我もと大学に進学しようとしていたのです。

仮に高卒現業で就職しても工場は次々中国や東南アジアに移って行きました。職人技とか匠の技とか言いながらバブル崩壊初期は58歳以上のブルーカラーシニアや20代前半ブルーカラーから首を斬っていったのです。だからバブル末期に就活(1991年就活・1992年高卒)した高校生は報われなかったのです。仮に生き残っても下手すると40代でリストラされ路頭に迷うなんて人生もざらだったでしょ。現業ですからスキルも碌にない。彼らは今51歳ぐらいですがどれほどのブルーカラーが1社にずっと勤めているのでしょうか。当時の青年は「未来に不安しか感じなかった」ので結婚だのましてや出産なんて碌に出来なかった、というのが現実なんでしょうね。

まあ、1992年当時の人が抱えていた不安なんて2024年に生きる我々からしたらピクニックみたいなもんですがね。ゲームならまだチュートリアルですよ。

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おまけ CMとは関係ありません。

明治末期生まれからしたら明治末期、大正、昭和戦前、戦時中、終戦直後、高度成長期、オイルショック、バブルと「近代日本の生き証人」ともいえる人生だったでしょう。まだまだ明治なんて江戸時代並みの文明水準だったとこも多かったことでしょう。それが明治期に写真と電気と電球と電話と鉄道がやって来て大正時代にラジオと映画がやって来て……だけど大正時代の栄光は長く続かずに震災恐慌と世界恐慌がやって来て戦争がやってきて戦争の悲劇の後に夢のような本物の文明社会がやって来て高齢者の時にバブルという日本の頂点を見てこの世を去ったのです。この約80年間自分の幼少期に見た大正時代とはまったくの別物の世界でしょう。貴方がこの世を去る時に日本は第二の地獄を味わうとも知らずに。

明治生まれの人間からしたら「チキンバー」なんて夢のようなアメリカナイズドされた食品に見えた事でしょう。

でもね……残念ですがぼくらが見た日本の光景は少年時代にバブルという頂点を見て金融危機と言う崩壊を目の当たりにし、非正規雇用が蔓延し、リーマンショックという現実と原発事故という日本の終焉を見て日本という国が終わったにも関わらず「日本を取り戻す」と言いながら韓国カルトに国を売った総理がおりあげくにパンデミックを経験しそのパンデミックも高齢者ファーストという現実で気が付けば2020年頃に日本は先進国から脱落してたという屈辱の32年ですよ。

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