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時間をたっぷりかけて

外国語に限らず、僕たちは何かを学ぶ時、いかに効率よく学習できるかを考える。時間もお金もできるだけかけずに、どれだけ早くペラペラになれるか。これは多くの人が望んでいることですよね。

だから、「半年で英語ペラペラになる!」とか、「スキマ時間で身につく!」とかいう謳い文句が語学学習の教材やメソッドでは多い。

効率化。これは語学学習に限らず、仕事、生活、現代社会の全てにおいて、
僕たちの行動の基準みたいになっているようだ。最短距離で結果にたどり着くことが善になっている。

しかし、僕は最近、あえて、この効率化に反するようにしている。何かを学ぶということは時間がかかるものだ。いや、時間をかけるからこそ、僕たちは深く学ぶことができるのではないか。特に言語のように、人間の本質的な部分に関わるものは多くの時間を要する。

だからまず、ある程度時間がかかるということを受け入れる。無駄なこともいっぱいしてしまうだろうし、回り道もしてしまうことを、最初から理解しておく。時に無駄だと思えるくらい、たっぷり時間をかけることを自分自身に容認する。

効率性だけを重視して獲得した知識や能力は、一時的には役立つかもしれない。テストでいい点をとったり、一過性の能力の発揮が求められる場合には有効だろう。

しかし効率的に身につけた能力は、やはり効率的に失われていく。時間をかけて試行錯誤を繰り返し、身につけたものはちゃんと自分の中に残る。

何年も前の忘れかけていた経験や学びが、時を経て役に立つことがある。
忘れた頃に結果がとして現れる。学びとはそういうものではないだろうか。

もちろん効率が大事な時もある。

しかし外国語学習も、スピードや効率だけではなくて、適切な時間のかけかたというものを理解すると、学びの時間も楽しくなるのではないでしょうか。

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