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英語を教える人について思うこと。

英語ライフコーチとしてレベルアップしていくために、考えを整理している。

今でこそ、「完璧」じゃない私だからこそ英語を教えたいと思えるようになったけれど、数年前までは「英語は英語ができる人が教えるもの」だと本気で思っていた。ネイティブスピーカーのほか、バイリンガル環境で育った人や、早いうちから英語環境に長く身をおき”ネイティブのように”話せるようになった人。そういう人しか教えられないし、需要もないのではないかと。


もちろんそういう講師の役割も大切だ。細かいニュアンスまで含めてどう表現したらいいのか、理屈でなく、実際人はこう言うよ、とはっきり教えてくれる人。実際の会話のスピード感や発音を再現して練習相手になってくれる人。こういう先生がいるからこそ英語習得に必要な練習、実践部分が充実する。


一方で、ネイティブでない、二重バイリンガル(2つの言語で母語話者と同じ言語能力を持つ人)でもない、「言語」という観点だけ切り取れば上記のような講師には及ばない講師も、同じくらい重要だと今は確信している。

第二言語を学ぶことは、どうしたって時間と努力がいる。「努力」って、机にかじりつくみたいなイメージを持ちすぎないでほしいとは思うけれど、聞き流すだけでいつの間にかできるようになる、なんて楽チンな方法は存在しなくて。読んでみる、使ってみる、そういう行動は少なからず必要で。難しさや不安や壁にぶつかることが何度もあって。時間も労力もかかるのに、自分では成果が見えづらい、そこに言語学習の難しさはあるように思う。


だからこそ、そういう葛藤を実体験としてわかってくれる存在、そしてその葛藤を超えた先にあるものを見せてくれ、あなたもそこに行けると信じて導き、見守ってくれる存在。そういう先生が必要で、それは前述したネイティブ、二重バイリンガルでないからこそ、寄り添える部分も大きいと感じる。(もちろんネイティブ、二重バイリンガルでも、そういう先生もたくさんいるとは思うけど。)


だから私が英語を学んできた過程英語を学び始めたのは中学からという「普通」な学習環境や、院に通うほどになってさえも英語に自信がないと思っていたこと、そしてそこに気付き少しずつマインドセットをシフトしてきたこと。こういう私だけのストーリーによって、サポートできることがある、サーブできる人がいるのかなと思う。そして私自身も学び続けるからこそ、それをシェアしていける。

興味も分野も性格も伸ばしたいことも、色んな人がいるんから、講師も色んな人がいたらいい。競走じゃなく、それぞれの強みで教えたりガイドしたりできたら英語を学ぶ環境ってすごく豊かになるはずだから。


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