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愛犬キキの誕生日、親バカ夫婦が思うこと。

今日5月18日は我が家の愛犬キキの誕生日である。
といっても保護犬だったキキがいつ生まれたのか、正確にはわからない。獣医さんの見立てで昨年5月頃に生まれただろうということと、保護団体から我が家にやってきた日にちをとって、この日付になった。

1歳の誕生日。何かしてあげたいという人間のエゴと、普段と違いすぎることをすることへの抵抗感との間でしばし悩んだ結果、いつもよりちょっと長めのお散歩に長めのドッグパーク滞在、そして小さな犬用の缶詰を買ってみた。

夫が帰ってきたところで食卓に夕飯を並べ、キキには無添加と書かれた小さなチキンの缶詰を皿に出す。犬用のクッキーをケーキトッパーのように乗せただけの、バースデーディナーというには忍びないごはん。ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユーという犬にとっては長すぎる「待て」ののち、チキンの缶詰ケーキは一瞬でなくなった。


テーブルの下でごろんとなったキキを横目に夕飯を食べながら、夫にきく。
「キキにこれからどんな子に育ってほしい?」

「そりゃあ、、計算ドリルができるようになってもらいたいよね。」
いたって真面目なトーンでボケてくるのがうちの夫である。1歳=人間でいうところの7歳というところからきているようだ。
「それで言うたら、もう3-2も、5-4もできるんやで。」
わん。こういう寒いことを言ってしまうのが私。ちなみに我が家にはツッコむ人がいないので、基本的にボケがボケを呼びながら会話が進んでいく。

そこからひとしきり、”1年で7年分を生きるとしたらの苦労”について語ったのち「まぁでものびのび育ってくれたらそれでいいな」と言っていた。言ってから、それは父が常に私に言ってくれていたことだと、自分の声に乗った言葉を耳にして少し動揺する。「とにかく、のびのびやりなさい。」それがどんな時にも父が私に伝えてくれていたセリフだった。

食事が済んだところでせっかくだから写真を撮ろうということになり夫がカメラと三脚を出してくる。何回か試し撮りをしたのち、タイマーをセットするが、当然犬との集合写真が容易に取れるわけもなく、あさっての方向を向くキキと必死な形相の人間二人という写真がたくさん撮れた。

こういう家族が揃った時やちょっとしたお祝い事の時に、三脚を出してきてリビングで集合写真を撮るのは夫の実家から引き継いだ習慣だ。正確には、夫のお父さんがいつもそうしてくれていた。

シャッターを押しにカメラと私たちの間を行ったり来たりする夫を見ながら、お義父さんが残してくれた家族の習慣が、こうやって私たちの家族の時間をいっそう「家族ごと」にしてくれるのだなと思った。


キキとの出会いは不思議な縁で、それはまた別の機会に書こうと思うのだけど、今や本当にかけがえのない家族になっているなと思う。誕生日の概念を知らないこのきなこもち色の食いしん坊なもふもふが、いつかはと思いながらまだヒトの親になっていない私たちに成長を見守ることの喜びを味あわせてくれている。

こうして夫婦二人だった私たちが、それぞれの家族からもらったものを受け継ぎながら、一回り大きな家族になっていく。人は親バカと笑うかもしれないし、私たち自身も夫婦揃ってでれでれな親バカだなとは思うけれど。

うちに来てくれてありがとう。
大好きだよ、キキ。

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