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2021年12月26日(日)

 今日はとても充実した一日だった。以上。




























 というのは嘘で、充実していたと言うのであれば、どのように実が充ちていたのかその内容を詳述せねばなるまい。もちろんここでの「嘘」というのは「以上」という文言に対しててであり、「充実していた」にかかるものではない。人の優しさとあたたかさに触れた。その人たちが信仰のゆえに優しくまたあたたかいことを知り、その信仰の根拠であるところの神の優しさとあたたかさを知った。痛みを通過することによってこそ得られる大胆さ、他者のための献身があることも知った。これだけでも「充実」に足る。くわえて、言いたい放題言い合えるような対話にあずかった。問題の所在を知り、それに対して自分にできることがあるとすればそれは何か、その現実にあっての自分の役どころは何かを考える、そして、これから考え続けるための手がかりを得た。それまで見えていなかったものが見えるようになる、これにまさる愉快はそうそうあるまいと思う。学ぶことの楽しさを改めて実感した。学ぶことを心の底から楽しみにしている自分がいることを再確認した。「面白い」と感じる感覚が共有される、これにまさる愉快もまたそうそうあるまいと思う。楽観や期待の根拠になりえるように見える、思いつく限りすべての事柄を否定したあとに残る唯一の根拠を見出した。思い出した。かかる心境、留め置かまし。どれを数えても「充実」と呼ぶことのできる一日は、少なくとも基本的に悲観的な(ゼロをマイナスに解釈することはないにしても、プラスをゼロに解釈しようとする傾向のある)自分にはそうそう訪れるものではない。

 文字どおり有り難い一日でした。ありがたい。

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