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2021年12月31日(金)|戦略的撤退

 かなり久しぶりの帰省、実家に帰ってきた。

 大晦日。どこへ出かけても、どの番組をつけても、「今年も今日で終わり」という事実(?)を突きつけられる。個人的には「煽(あお)られている」というのがもっとも正直な心情に近い。

 「年惜しむ」ということばがある。「一年を振返って、去り行く年を惜しむこと。今年もいろいろなことがあった、という感慨が込められている」(参照:きごさい歳時記)の意で、〈冬〉の季語だという。

 大晦日は、この「年惜しむ」の感慨に追い詰められる一日となる。この日のあらゆる瞬間に「今年も終わり」というムードが満ちており、去りゆく歳を惜しまずにはいられない。「去りゆく歳」とはよく言ったもので、ある意味不可避的に「喪失感」を味わうことになる。

 もちろん大晦日に「非日常性」を見出し、そこに積極的な価値を認めることもできる。実際に今回私が帰省したのも、日常的な仕事が中断する正月休みのゆえであり、その非日常性にあやかっていることになる。家族が一堂に会しえたのも、当然この非日常性のおかげである。

 しかし、非日常とはすなわち「非平常」であり、その意味で「異常」でもある。この異常な一日(その異常性は、夜が更けるにしたがって加熱していく)において、私は平常心を乱される。

 紅白歌合戦を観ながらの食事を早々と抜け、部屋を変えてひとり読書することにした。揺さぶられた平常心を取り戻すための「戦略的撤退」である。

 『平家物語』「入道死去」の場面を読む。

 肌に触れた水が蒸発するほどの熱病に冒された清盛。その死を覚悟した妻・二位殿(平時子)が「言い残すことはありませんか」と尋ねたのに対し、清盛は以下のように答えた。

「われ保元・平治よりこのかた、度々の朝敵をたひらげ、勧賞身にあまり、かたじけなくも帝祖、太政大臣にいたり、栄花子孫に及ぶ。今生の望一事ものこる処なし。ただし思ひおく事とては、伊豆国の流人、前兵衛佐頼朝が頸を見ざりつるこそやすからね。われいかにもなりなん後は、堂塔をもたて孝養をもすべからず。やがて打手をつかはし、頼朝が首をはねて、わが墓のまへにかくべし。それぞ孝養にてあらんずる」

(訳:「自分は保元・平治の乱以来、たびたび朝敵を平定して、その功労に対する賞は身に余り、おそれ多くも天皇の外祖父となって、太政大臣にまで上り、栄華は子孫に及んでいる。この世の望みは、なに一つ残るところはない。ただ思い残すこととしては、伊豆国の流人、前兵衛佐頼朝の首を見なかったことが遺恨である。自分が死んだ後は、仏堂や塔を建てて仏事供養をしてはならない。ただちに討手をさしむけて、頼朝の首を刎ね、わが墓の前に供えよ。それがなによりの供養であろうぞ。」) 
『平家物語』「入道死去(三)」

 清盛の遺言は「わしのために仏事供養をする必要はない。ただ頼朝の首をはねて、それを私の墓前に供えてくれ」であった。少なくとも『平家物語』はそのように語っている。

 興味深いのは、この清盛の台詞のすぐあとに、作者による批評(コメント)が記されている点である。

「・・・やがて打手をつかはし、頼朝が首をはねて、わが墓のまへにかくべし。それぞ孝養にてあらんずる」と宣ひけるこそ罪ふかけれ。

(訳:「・・・ただちに討手をさしむけて、頼朝の首を刎ね、わが墓の前に供えよ。それがなによりの供養であろうぞ」と言われたが、まことに罪深いことであった。)
『平家物語』「入道死去(三)」

 ここで『平家』の作者は、物語の叙述を離れ、この一場面に対する解釈を述べる。仏教的な思想がその根底にある『平家』において、供養を拒否してまで敵将の首に執着するのは「罪深い」ことであったのだ。作者による批評はさらに続く。

日ごろつくりおかれし罪業ばかりや獄卒とな(ッ)て、むかへに来りけん。あはれなりし事共なり。 [中略] さしも日本一州に名をあげ、威をふる(ッ)し人なれども、身はひとときの煙とな(ッ)て、都の空に立ちのぼり、かばねはしばしやすらひて、浜の砂にたはぶれつつ、むなしき土とぞなり給ふ。

(訳:日ごろ作っておかれた罪業ばかりが、獄卒となって迎えに来たことであろうが、まことに哀れなことであった。 [中略] あれほど日本全国に名をあげ、威勢をふるった人であったが、身体は一時の煙となって都の空に立ち上り、遺骨はしばらく残りとどまったが、浜辺の砂にいりまじり、ついにむなしい土と化していったのであった。
『平家物語』「入道死去(三)」

 『平家』冒頭で説かれていたあの「諸行無常」の理が、ここで再び、さらに詩的なことばによって鳴り響いている。あれほど名を上げて威をふるった清盛も、その身は焼かれて煙となり、遺骨は浜辺の砂に入り混じり、ついにむなしい土へと帰ってゆく・・・。

 何度読み返しても見事な一段。『平家』を通読したわけではないけれど、重要な場面には必ず「祇園精舎の鐘の声・・・」に始まるプロローグからの光が当たっているという印象がある。やっぱり傑作だなあと思う。もっと知りたい。

 さて、大晦日。

 どうも昔から、私は喪失に対する嫌悪が強いタイプの人間だったように思う。死に対する恐怖を抱いたことのある人は多いと思うが、私の場合、自分の死よりも身近な人の死に対する恐怖が先に起こり、しかもそれが前者を下回ることはなかった。自分の死にはない喪失感が、身近な人の死にはある。死という大きな問題を語るまでもなく、日常的なレベルでも喪失感は嫌いだった。例えば旅行に行くことになったとして、それが計画される時点では楽しみを抱いているのだが、その旅行がいよいよ始まるというタイミングで「ああ、この旅行ももう少ししたら終わるのか」と気づき、落胆するような子どもであった。なぜか喪失感を先取りしているわけで、今ではわれながら面白い心性だなと思っている。さまざまな種類の喪失を経験するにつれて、どうしても避けられない喪失感に対する嫌悪は失われた。喪失を味わうことが人間の成長に寄与するということも、なんとなく理解したつもりでいる。しかし、喪失感は少なければ少ない方がいい、とも思っている。無用な喪失感は避けたい、というのが根底にあるらしい。私にとって、「年惜しむ」というのは無用な喪失感であるらしい。ただ、無用とはいえ喪失である(という認識を抱いている)ことに変わりはない。その現実に向き合う方法、あるいは目を背ける方法として、私は撤退を選び取り、また『平家』を手に取った。・・・ふと振り返ってみると、今日読んだ箇所は清盛という大人物を「喪失」する場面だった。なんたる皮肉。しかし喪失感は全く感じていない。どうやら物語に入り込めていなかったらしい。無念といえば無念。

 今年の瀬になんとなく感じたことを、ああでもないこうでもないと、表現に迷いながら書き進めてきた。「大晦日」というものに対して、あえて批判的な立場を取ってみた(と言いつつ、もちろん大部分が正直な実感である)。「一年の終わり」の大嵐に抵抗することによって、かえって「一年の終わり」を強く意識する結果となってしまった。これもまたなんたる皮肉。でも、愉快であった😏

 なんだかんだ言って、とてつもなくありがたき一年でした。お世話になったみなみなさま、ありがとうございました!

Praise and honor be to God our Father, our Lord Jesus, and Holy Spirit dwelling within and among us. 

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