「野蛮人」だったのか

先日(と書き、一昨日が「先日」になっている自分のテンポに気付く。)、『反穀物の人類史』*という本を読んだ。
私の解釈でざっくり言うと、どうも、確実に徴税できる農民をはじめとする定住する臣民以外の略奪を含む狩猟採集をし、定住せずしない人達のことを「野蛮人」と呼んでいたようで、軽蔑するように仕向けていたようだ。
それでいて、定住では持ち得ない視野と物を持つ彼らとの交易はちゃっかりと行われたようで、野蛮人もまた、生きていた。
必要な存在だったのだ。

ある時から私は、「仕事」というと、どうして「就職」なのか?
何故「就職率」が掲げられるのか、失業とか求人倍率…とか、既にある何処かの組織に属せないことが問題になり、死活問題かのように言われていることに疑問を持っていたのだが、それで合点がいった。要するに徴税問題だったのだ。

そのことについて掘り下げるのはまたの機会に譲るが、
"そうしておかないと生きづらくてたまらない”ので、会社組織を作ってその代表取締という形をとっている(それは嘘でない)けど、どういう訳かお陰様でここまで気ままに生きて来られている私は「野蛮人」だったんだ、ということがわかった。

現代でいうところの、当然ながら国家に推奨されて来た生き方:サラリーマンに対するフリーランス。

太古からまるでアリとキリギリスのように忌むべき存在のように言われているけど、常にペアで存在した欠くことのできないもの。

それを知って、野蛮人として生きる勇気が湧いて来た。

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