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何故スピード感を大事にしたいのか〜その②〜

↑(タイトル)それはもう、コロナさんのお陰でしょう。
この写真は2017年5月27日にfacebookに私の服第1作をアップした1枚。
〜このGWに初めて自分で布の真ん中を切って被ってみて、鏡を見た感じで脱いでは自分で切って、手縫いで作った服を着て。あ、これは途中経過で、完成した今は、もちょっと袖口や裾に装飾が付いてるんですけどね〜という言葉を添えています。
ついでにその前に〜去年の5月5日にできるよう、主人の為に3日午後から夜にかけて自分で描いて4日から仕立てなど主人にお願いして5日に掲げた泳がない鯉幟を今年は床の間に泳がせて〜とも書いていて、後ろに見える鯉のぼりは自作です。
このシリーズの最初に出てきた言葉で言うと、描いたのは私、縫ったのは主人なので、私が制作、半分製作、主人が半分製作したものと言えると思います。
そう、それくらい、私は「縫う人」ではありませんでした。

そんな私が何故この時、50歳を過ぎて初めて服を縫ったかというと、まず、この布との出会いがありました。奈良の室生の夢雲さんという素敵なギャラリーで出会った素敵な写真家の方が、ご自身が宣伝写真を撮られた布のブランドの新作発表会のことをアップしておられて、その頃その近くにいく用事があり、見に行った時、素敵な布との出会いがあり、3枚買いました。
縫えない私ならソファーのカバーか何かにただ掛ければよさそうなものでしたが、どうしても着たかった。
運針で目を細かく縫えない、まっすぐ縫えない、ミシンでもそう…。型紙を置いてもまっすぐ切れない、切り口もギザギザになる。縫い代を均一に取れない。
でも、文字通り、「作らずに死ねない!!!」という思いもあって、
そう言えば…と、以前、『カーネーション』という朝ドラで、尾野真千子演じる小篠綾子さんがモデルの主人公が、人を立たせて、布を被せて、その上からジョキジョキ切っていた場面を思い出し、「それや!」と、思ったのです。

冒頭に書いたキャプションのように、姿見を置いて、布を最大限生かそうと思い、真ん中で折って、頭の入る分だけ切り込みを入れて被って見て、何せ1人なので、誰に印を付けてもらう訳にも、下手に印をつけようとするとズレてもいけないので、目で見て大体この辺、というところで前を短め、後ろは長めに裾を切って、2つ折りのまま、放っておいたら消えるという裁縫用のサインペンで↓こんな風に

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線を描いて、ジョキジョキ切って、ダブルガーゼ素材なので当時の私にはミシンで縫う勇気がなく、手縫で縫いました。目の細かさとか粗さ、曲がってるか真っ直ぐかなんて、「実は中表にして縫っていたらひっくり返したら「あまり」関係がない」ことに気づいたのもこの時でした。
この服のことについて詳細を書くのがここでの目的ではないのでそれはこれくらいにして。
そんな訳で、服の「制作」はできるけど(またいつか)、製作はできないことで子どもの頃の服飾デザイナーへの憧れ(デザインする人は文化服装学院的なところへ行って自分でも縫えなきゃいけない、と、知った(思い込まされた)のは青天の霹靂でした。)を断たれた私が死ぬまでに服を作った瞬間でした。

で、元々、「死ぬまで生きたい」(「すでに死んでいる」状態で長さだけダラダラ稼ぐなんて嫌だ!という意味)とか、「人間いつ死ぬかわからないから、できる時にできることをできるだけ!」と、思っていた私を、マスコミ談によると、自然に罹るも地獄、打つのもロシアンルーレット、みたいなコロナは加速させてくれました。
いつ死ぬのかわからないなら、やりたいこと、できるだけやって死にたい!って。

それで、例えば28年来の念願だった『日本の三味線色々』を実現させた今、『ご自愛ください』の執筆!!も念願なのですが、この次に述べる、この後に初めての服の時に一目惚れしたのと同じ伊藤尚美さんの別の布を買っていて、裁断までしていたものを完成させたくて、それに着手した時から突然の創作熱が訪れ、やがては『日本の三味線色々』よりずっと前から密かにやりたい…というか、誰かやってくれないかなぁ〜・・・と、思っていたことを、これまで誰もやってくれていないので、というか、やはり他の人がやることは、私がやりたいこと、欲しいものとは似て非なるものなので、せめてプロトタイプは自分で創るしかないなぁ〜・・と、思うようになり、大冒険へ船出することになるのでした。
今、その1シリーズ目を(頭の中には2シリーズ目以降も既に満載!)作り終えたので暫し停泊しているところです。

これを書くことが即ち『ご自愛ください』を書くことにもなっているような気がするので。

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