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制作/プロデュースというらしい?

イントロダクション的なことばかりを続けていますが…。
このデザイン画が残っていないのが痛恨の極みなのですが、タイトル写真は10歳くらいの頃、私がデザインしたものを、仕立て屋さんが作ってくださったものです。
皺々のままですが...  。

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この当時、毎日のように母の呼ぶ仕立て屋さんが家に来て、母に新調する為の服にする候補となる沢山の反物を車に積んで、風呂敷に包んで持って来られていました。
ご主人と運転手さん兼助手のような方とで。
多分私が生まれる前からの付き合い(私は両親の結婚15年目に生まれた一人っ子)で、もっと小さな頃にはそんな風に思っていなかったのですが、5、6歳の頃にはそのことが原因で両親の諍いの種になっていることは理解でき、母がいいカモになっているような気がして、「早く帰れ」とか「来ないで欲しい」的な抵抗をしたような記憶もあり、その頃には「若旦那」と呼ばれていた記憶があります。
けれど、その頃、毎日のように、フランスやイタリア、スイスのシルクやウール、カシミア、綿、レース・・の最高品質の美しく繊細な柄や織地の布達に直接触れ、エレガンス誌やハーパーズ・バザール誌や欧米の仕立てのパターンの元となるスタイルブックに触れていたことは見えない財産だと、今にして思います。
そして、何やかや言いながら、ちゃっかり、要所要所ではついでに自分のものも生地を選ばせてもらって作らせてもらっていました。初めの写真の右側に見えるピンクのベルベットがレリーフのようになっている生地の服もその一つで。
デザインしたとは言えないけれど、相談しながら作ってもらいました。

今回、自分で作るようになって改めて、私が突然服を作り出したきっかけが生地との出会いだったように、特に手作りの場合、生地/素材が全てだなぁと改めて思います。

そう言えば、着物の場合など、形は決まっているので選ぶのは反物ですものね。

あ、いつもながら脱線してしまいました。

そんな訳で、絵を描いたら、作ってくれる人がいる。だからデザイナーになりたい!そんな風に思っていました。
それは、「制作/プロデュース」だったのですね。

そして、デザインする人はとりあえずは自分で作れもしなければならない、と、聞き、断念していました。

そして今、欲しいものが頭に浮かんだ時、誰かにお願いする時間もお金も(勿体)なくf^ ^;。
母のような形で後の世代によい素材に触れさせることはできないけれど、母や、着物を合わせれば祖母が遺した市場では価値がないとされても実際には今はもう作ることのできないような素晴らしい素材を今に生きる形で残し、使える形にして活かすよう、手慣らしをしています。
また、拙いことは重々承知ながら、その過程を共有することにより、自ら創る人が増えたら世の中が百花繚乱になり、楽しいのではないかと思っています。
創ることのハードルをひたすら下げたい、そんな気持ちで動いています。


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