2,私の中学生時代かしら

前回はほぼ小学生だった時代の記憶の記録だったので、今回は中学生に突入していく。

その前に。私は6年生の頃に1人でラジオと称して1人で台本通りに話してICレコーダーに録音していたことがある。番組名は「パパイパイのパイパイパイ」。本当に恥ずかしい。作家、ディレクター、パーソナリティを私1人でやって、台本は4回分。1ヶ月で打ち切りだったのだろうか(?)

私はミュージシャンの設定だったのだろう、ピアノで弾き語りをして「新曲解禁です!」なんて言って小学校で歌っていた曲の替え歌を歌ったりしていた。ちゃんと大喜利コーナーもあったし、悩み相談コーナーもあったし、”フェロモン専門家”の女医さんをゲストに呼んで一人二役でゲストコーナーをやっていた。本当に恥ずかしい。4回分しか録っていないのが今思えばもったいない。小学生の頃の私が書いた台本は今も残っている。

でもこの自作のラジオ番組(?)から、当時の私は「ラジオが(新曲解禁するような)パーソナリティにとって特別な場であること」や、「リスナーとの双方向のコミュニケーションがあるメディアであること」に魅力を感じていたのだろう・・・番組名はどうにかならんものか・・・

私がオールナイトニッポンというブランドに出会ったのは中学生。と言っても聞いていたのはGOLD、23時過ぎには寝ていたので1時間ちょっとしか聞いていなかった。初めて聞いたのは「ゆずのオールナイトニッポンGOLD」だった。23時過ぎに「ジャメール発掘隊」という下ネタなコーナーがあって、ゆずのお二人はこのコーナー内だけのキャラ名でやっているコーナーだった。初めは「これは本当に私が知っているゆずなのか?ゆずのあの爽やかな2人もこんな下ネタいうのか?」と中1くらいの私はびっくりしていた。23時過ぎ、ラジカセからイヤフォンをベッドまで伸ばしてこのコーナーを聞いてから寝ていた。

ここからオールナイトニッポンGOLDをどの曜日も聞き始めた。坂崎幸之助・吉田拓郎、ゆず、広瀬香美、大竹しのぶ(敬称略)の並びを聞いていた。(残念ながら金曜のよっぴーは記憶に薄い)正直当時の私は月曜・水曜はどんな人なのか知らずにずっと聞いていた。福山さんの土曜日は母がファンなので母が録音してくれたものを一緒に聞いていたが、「大童貞祭」によってさらに私もファンになった。あれを聞かせる母、いい教育をしてくれていると思う。

その後のバカリズム、ゆず、小島慶子・ミッツマングローブ、宮藤官九郎の並びになった時も聞いていた。あの伝説のアルコ&ピースのオールナイトを私はリアルタイムで全く聞いていないのが悔しいのだが、アルピーがやっていた時期にGOLD帯は聞いていたのがニアミス感増してさらに悔しい。もっと起きていれば・・・!

バカリさんはガッツリこの時間帯で下ネタだったし、やっとこの頃私は夜のラジオ番組がくだらんものに溢れて楽しいものだとわかっていた記憶がある。

もう一つ覚えているのが、文化放送の「吉田照美の飛べサルバドール」である。平日の15時半から18時前までの番組だった。部活もあるのにいつ聞いていたのだろうとは思うが、照美さんがどれだけ偉大な人か知らずに聞いていた。コーナー(箱番組?)の「高田純次 毎日がパラダイス」はいつも楽しみに聴いていた、木曜の色エロ川柳とか、結局エロかったやつだけ覚えてる、そんな中学生だった。

母に飛べサルや親父熱愛の話をすると「てるてるワイド聴いてたわ」と昔の番組の話が出た。吉田照美さんをはじめ、パーソナリティがどんな人か、どんな歴史がありすごい人なのか、知らずに聞いていた番組が多かった。

そう、親父熱愛を1番聴いていたのは中学生の頃だった。

中学生の頃の私は、当時の私が「知らないおじさん」の番組をたくさん好んで聴いていたのだ。明らかに私はターゲット層ではない年齢であろう番組ばかりだっただろう。そして、深夜とは言わずとも夜の時間帯のラジオがどれだけくだらなくて面白い話で溢れているか、それに触れ始めたのもこの頃だった。

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