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空の会【小説】

 窓側の一番うしろは、僕の特等席だった。
 退屈な授業を聞いているふりをし、窓越しにいつも空を見上げていた。
 どこまでも高く澄み渡ったかと思えば、今にも泣き出しそうな灰色に覆われることもある。
 勢いよくそびえ立つ真夏の入道雲や、低く垂れこめる真冬の雨雲など、様々な形や色がそこに描かれている。
 微かな風の匂いを感じたくて、そっと窓を開けてみては、少しばかりの空想のひとり旅に出かけていた。


「上の空だった…よね」
「え?」
 チャイムが鳴って旅から帰ったある時、君は僕の肩に右手を置き、人差し指を立てていた。振り返った僕の頬に、その指がのめり込んだ。
「ふふ」
「ったく」
 平凡な毎日を打ち破るというには些細だけど、突然起こった出来事に、不思議と悪い気はしなかった。
「授業を上(うわ)の空に聞き流しながら、上(うえ)の空を眺めている……年の割にはうまいよね」
「はは……」
 なるほど……心の中でつぶやきながら感心している。
 と同時に、そんなことを微塵も思えなかったセンスのなさに、悔しさ混じりの嫉妬を覚える。
 もちろん、君に声をかけられたことへの単純なうれしさもある。
 微妙な胸の内は億尾にも出さず、少しだけ大人ぶって笑って見せた。


 ”空の会”
 会員は君と僕のふたりだけ。気が向いたときが開催日。
 僕の席、グラウンド、帰り道……どんな場所でも開催地。
 ただひたすら空を見上げて、何も言わずに終わることもあれば、空とは無縁の話を続けることもあった。
「空想って、空を想うことなんだよ」
 当たり前だけど気づかなかったことに、やっぱり感心と嫉妬を覚える。
 そんな何気ない出来事を積み重ねてゆくほどに、僕の中で何かが少しずつ動き始めていった。
 あの空と同じくらいに君の存在が大きくなり、ふたつともかけがえのない宝物になっていった。
 ありふれた日々は、ずっと続くと思っていた。
 世界はきっと変わるけれど、この時間と空間だけは変わらないと信じていた。突然君が、遠く離れた中学に転校するまでは……


 人が作り上げた校舎は、二十年の歳月を経て跡形もなく消え失せてしまったけれど、人の力を越えた空は、今もまだ見上げた先に広がっている。
 いま君は、どこで何をしているのだろう。
 いまも変わらずに、どこかで空を見上げているだろうか。
 もうすぐ僕は、あの空の向こうへと、永遠の旅に出かける。もう二度と、君と”空の会”は開けない。
 けれども、いやだからこそ、今度こそはほんとうに空となって、君が僕を見上げるたびに”空の会”を開けるだろう。
 時間も場所も問わないのだから。ほんとうに君と僕だけなのだから。
 そのときはきっと、伝えられるだろう。あの頃胸に秘めていた、ささやかだけれどたしかな想いを……
(完)

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