マスターピース

「ないもんねだりしてるほどヒマじゃねぇ。」
気持ちがすっきりする名言です🥺
言葉に感動するときのエネルギーは大切です。
そして更に大切なことはこ感動したエネルギーをしっかり「感じ」身体に留めたり流すことです。

わたしの場合、何かを感じた時にそれが例えば「昂り」だとすると、身体が緊張してしまってせっかくのエネルギーを外に放出してしまいフィジカルに還元できていなかった節がある。
リラックスがない限り美しい動きはできない。

身体の緊張状態は内側からのエネルギーを纏えなくしてしまい美しい動きに繋がらない。
子供は身体がリラックスしてるからとてつもなく上手にこの「感じたエネルギー→フィジカル」の流れをやってのけます。やりたいこと(感じたこと)やってる(体現)だけだから。
だから美しい。

子供の時にできたことができなくなる理由は2つあって、
1つには身体や筋肉に生活習慣の癖が身につき緊張しているから。
2つには同調圧力や忖度、自分をよくみせたい思いが暴走する=他人や世間から見た自分を氣にして行動した結果「本来の自分がなくなる」から

自分が「感動」することは自分だけのものでありその感動を行動に変えることも自分だけのもの。
これはアート的な思想。やりたいことやるだけ。

ここに人からの目線を「氣」にして体現に移すとそれはエンタメになる。
この感動を「誰かと共有したい」という氣持ちが生まれると「結」や「愛」となる。

プライドが高く繊細な私は長いことこの「他人目線」を氣にしてしまって自分の出し方を忘れてしまった。
高純度の自分との再会は3ヶ月ほどの旅に出てからだった。
正直戸惑った。純度の高い自分の感覚に戸惑った。バケモンやんと思って怖くなった。だってあまりにも現実から離れた感覚だから。自分の感覚がバケモンに見えて怖かった。
しかし一人旅はバケモンに見えた自分と嫌でも向き合わないといけない。
膝を付け合わせて向かい合っているとバケモンに見えたその姿はただ駄々をこねる「ワガママな子供」だった。

その子供は高純度の自分だ。
高純度の自分をワガママに表現してあげることにした。甘えさせてあげようと決心した。ほんとは嫌だったけど、、まぁしょうがねぇそれしかやることもねぇし楽しそうかもって思ったから。
時に人に嫌われたり更に仲良くなったりした。
コミュニケーションのとり方や行動が変わった。
高純度の自分を体現することを徐々に思い出しようやく慣れ始めた結果、もっと素直に生きようと肩の荷が降りた。心の中のワガママな少年が笑った。

自分にはないものばかりだと思ってあれもこれも手当り次第やってきた。
楽しくてやりたいからやってるはずなのにこれを金に変えるにはどうすればいいのか?ビジネスに繋げるにはどうすればいいのか?より多くの人に見てもらうにはどうすればいいのか?まずは安定してからやりたいことをやろう投資しよう!
だとか物事を損得とかメリットデメリットとか合理的がどうかとか「不純」な考えで動いていたら本当に全てがつまらなくなってしまい氣づくころにな私の心は音もなく壊れていた。とはいえこの不純な動機はこれまでのイデオロギーの世界では現実的に大切な考えだしルールだった。

しかし私はもうわかった。
純粋な氣持ちが1番大切だ。
やりたいからやるだけ。
自分にできないことは仲間がやってくれる。
自分にはできないと認めて諦めることはプライドが高い自分には苦痛だったけど認めてしまうとそれらは仲間を信頼する新しいエネルギーとなって返ってきた◎
何でも1人でやろうだなんてのはまだまだ未熟な証拠だった。

これが旅に出て得た私の核心でありマスターピースです🥺