「AI絵師」は人類補完計画を目指しながら結局上位の存在になりたいだけでは?
また「よくわからん画像生成AI擁護」批判記事になります。
自己矛盾が多すぎるので、この記事ではいったん「生成AIの問題」は忘れて矛盾点だけ書いてくことにします。
小説に挿絵を入れたいからイラストAIに手を出したのだとして、
「私はJourneyシリーズと共に成長してきた」って、ソフトがバージョンアップしたから「高品質な絵」を生成できるようになったって自分で書いてますよね⸮ あと前回の人もですが「私は成人向けの絵を生成したりしません」と言えば良識的人間になると思ってるんですか⸮
「所属欲求」というのがよくわからないんですが、小説を書いていた時点で「FGO」というジャンルに属していたのでは? 画像のキャプションに「AI界隈でもいいから所属したかった?」と書いてますけど、だとしたら「創作活動」ではなく「自分」をどこかに所属させたかったという事では? あと小説に挿絵を入れたいからイラストAIを使い始めたんじゃ無かったんですか⸮
「競技」と言うのはその名の通り「競う」ものだから、「自己満足」が目的なら「お前とバスケやるの息苦しいよ……」と言われないためにもしない方がいいと思うんですが。あとAIじゃない絵も「競技」では無いのでは? 絵によって付く値段が変わったりはするでしょうが、「このイラストはいい。こっちのイラストもいい。方向性が違うしどちらが上とか比べるのは難しい」と思ったりしないんですか?
超主観的な超自己満足が目的なら神絵師のレベルに到達する必要無いのでは?「完璧な構成、構図、デッサン、キャラクターの絡み」とかが目標だったとしても「トップ1%」とか数字で限定する必要無いですよね? 仮に絵描きの30%が「完璧な構成」等を描けるなら「トップ30%」でも問題ない訳だし、単純に「完璧な構成」等を目標にすればいいのでは?
チヤホヤされることではなく自己満足が目的のハズなのになんで「画力カースト」とか気にするんですか? 「自分の理想通りの完璧な絵が生成できた。ヤッター」で満足できるなら「舞踏会に招待されな」くても全然構わないのでは?
さっき「競技」と言ってませんでしたか? 「全員が一定以上の画力出力が出来」たとしてもその中で「上手い下手」が存在するなら結局「画力カースト」が生まれるのでは?
整合性を付けるために「すごい!どんなプロンプトを使ったのだろう?」から推測すると、要するに「素晴らしいAIイラスト」が生成できてもそれはAIのおかげで人間は関係ないから平等に扱われるということですか?
もう俗流心理分析になりますが、要するに「他者による序列化」が嫌だから「平等」なAIイラストに走ったと? まあ確かに人間が介在しないから序列化されようが無い。フィクションでもよくありますよね。「平和を乱すのは人間だから人類を滅ぼせば平和になる」とか「すべての人間の意識が共有されれば争いのない世界が実現する」とか。Blueskyでフォローしてる人が「全部エヴァンゲリオンのせいにしておこう。まったくエヴァンゲリオンは悪影響を与えてけしからん」と言ってましたが、進歩主義──を生んだ知性崇拝のせいにしておくとして、人類補完計画が目的なのに「神絵師を越える」と結局自分が上位の存在になりたいだけなの何とかならないんですか? 「AIに全ベットし、努力を放棄した奴。手描き絵師よりAI絵師が優れていると暗示をかけないと生きていけない奴」という指摘が完全にその通りだったということでは?
最後にもう一度、物語を紡ぐための小説はどうなったんですか?
(キレイに締めたかったのですが)続編:
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