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評論記事まとめ

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大きく誤読されている(良い方向/悪い方向ともに)作品の評論記事まとめ
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『オッペンハイマー』が描いた原爆【投下】とAI(そして機械学習)に共通する危険性は「責任」の透明化

映画『オッペンハイマー』は原爆の父を描いたことでAIの危険性と絡めて言及されることが多い。と言うと「なるほど今のAIの進歩は凄まじいから人間を超え原爆のような脅威の存在になるってことか」と思うかもしれないがそれは違う。「ディープフェイクとかもっと現実的な話だろ?」と思うかもしれないが(それも確かに危険だが)違う。監督もAIそれ自体と原爆それ自体が同じ危険性を持つとは言っていない。 本作が原爆計画を主導したオッペンハイマーを通して描いているのは原爆そのものと言うよりその投下を

現実への現実逃避 ~ 『この世界の片隅に』 と『オッペンハイマー』~

『この世界の片隅に』の作者こうの史代は映画『オッペンハイマー』を以下のように評している。 オッペンハイマーと『この世界の片隅に』の主人公すずは同時代人とは言え対照的に思える。交戦国同士で性別も異なり、オッペンハイマーが国家機密に関わる天才科学者である一方すずは一庶民に過ぎない。 だが上記のこうの史代の評はすずにも、いやいつでも・どこでも・誰にでも当てはまるのだ。 『この世界の片隅に』は「戦時下の平凡な日常」を描いたことで話題となった。確かにすずは「普通」に見える。軍国主義者

『オッペンハイマー』と『永遠の0』 ~人間、あるいは戦争の複雑性~

映画『オッペンハイマー』のノーラン監督は『ゴジラ -1.0』を絶賛している。また、『ゴジラ -1.0』の山崎貴監督も『オッペンハイマー』を絶賛している。 山崎貴は『オッペンハイマー』を「悪い人間、素晴らしい人間を決めつけていない、その両方が渾然一体となっている」と評しており、ノーラン監督も同様のことを語っている。 そこで思い出したのが同じく山崎貴が監督した『永遠の0』だ。 山崎貴監督作品は原作の大筋はそのままだが「本質」を大きく改変していることが多いので原作を知っている人