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ペンテコステ礼拝 賜物としての悔い改め

ペンテコステ

2022年6月5日の礼拝はペンテコステ礼拝です。
ペンテコステというのは、ギリシャ語で「50番目」という意味があります。
ユダヤ人たちは、過ぎ越しの祭りから数えて50日目にもう一度集まり、「五旬節」や「七週の祭り」と呼ばれるお祝いをしていました。
このとき、ユダヤ人たちは大麦から小麦の刈り取りに移り、神の恵みを感謝していました。
この祭りの最中、イエス・キリストが約束してくださった聖霊が人々に与えられました。今教会はペンテコステを「聖霊降臨節」として記念しています。

使徒の働き2章では、この五旬節の日の出来事が記されています。
そこでは驚くべきことが起こりました。
聖霊が降り、弟子たちは説教を語りだしました。中でもペテロが説教をすると、人々の中に何かが起こりました。
この時、この説教によって変えられた人々こそ、初代教会の基礎となった人々でした。

教会は心刺された人々の集まり

「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか』と言った。」(使徒2:37)

みことばの説教が語られた時、それを聞いた人々は他人事としては聞かず、自分に語られたものとして聞き、心刺されました。

彼らは、自分で考え抜いて、様々な宗教を比較した上で、この道を選んだわけではありません。

「この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」(使徒2:39)

すなわち、神なる主が召し、招いたので心刺されたのです。
教会は、神が自分を召したということを自覚している人々の集まりです。
神に捕らえられたゆえに、ここにいるのです。

ペンテコステのとき、ペテロの説教を聞いた人々は、それを極めて個人的なこととして聞きました。

みことばによって、彼らは自分が罪人であることに目が開かれ、気付かされたのです。
彼らは心刺され、神の取り扱いを受け、自分の罪に悲しみ悩みました。この大きな悩みの中で、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と問うたのです。

人は御霊によって、自分自身と本当の意味で直面させられます。
これまで触れなかった自分、蓋をしてきた悲しみ、罪の深さ、そこに向き合わされるのです。
むき出しの罪深い自分を偽ること無く、神の御前に注ぎだし、神の執り成しを願ったのです。

神はこの本当の自分に迫り、そこに解決を与えてくださるのです。

教会は悔い改めたの人々の集まり

「神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」(使徒2:36)

みことばは、「あなたがキリストを十字架につけた」と責めています。キリストを退け、あざけり、有罪とし、十字架につけたのはこの私である、このイエスに対する態度に人々は気づきました。

このような自分に気づいたなら、私たちはどうしたら良いでしょうか?
犯してしまった罪は無かったことにはできません。

「どうしたらよいでしょうか。」

ということばに対してペテロは答えました。

「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。」(使徒2:38)

イエスは罪を赦すためにこの世にお生まれになり、私たちの身代わりとなって十字架に架かられました。

心刺された者たちは、単に罪を自覚し、悲しんだだけではありませんでした。
彼らは、悔い改めました。

悔い改めとは、方向転換のこと。
これまでの自分を捨て去り、自分をキリストに委ね、キリストの自分の生涯の主として受け入れて生きることです。

神は、悔い改めてご自分んのもとに立ち返る者を待っておられます。


教会はバプテスマを受けた人々の集まり

聖霊によって悔い改めへと導かれた者たちはイエスを信じ、イエスの名によってバプテスマを受けるようにと招かれています。

バプテスマ(洗礼)は、教会の入会儀式ではありません。
神に招かれ、罪を自覚し、悔い改めた者が受ける恵みのわざです。

バプテスマという儀式が人を救うわけではありません。
悔い改めのないバプテスマは意味を持たないのです。

このように聖霊によって新しくされた人々は、一緒に集まりこの喜びを現しました。

聖霊は私たちを変え、生き方を変えてしまいます。

クリスチャンは必ず聖霊の働きを経験する者です。
それは、なにか不思議な奇跡や体験というものではなく、私たちにみことばの理解を与え、罪の自覚、救いへの飢え乾き、悔い改めをもたらすものです。

さらに、聖霊によってクリスチャンはイエスを証しし、バプテスマを授ける働きへと召されています。

今、罪に悩む人は幸いです。
今、悔い改める人は幸いです。
今、イエスに従う者は幸いです。
聖霊があなたに働きかけていいるからです。
私たちの救いの一切は聖霊によるものです。

「神の御霊によって語る者はだれも『イエスは、のろわれよ』と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません。」(Ⅰコリント12:3)

神は御心にかなう祈りに答えてくださるお方です。
このメッセージを聞かれたならば、聖霊を求めて祈ってください。



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