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シンクロニシティ体質である。

必ずしもシンクロニシティの定義に当てはまるとは言えないかもしれない。
でも、他に的確な言葉が見つからないのでシンクロニシティ体質と称してみる。

視線で振り向かせる

例えば、雑踏の中を歩いているとき、3メートルほど前を行く女性の帽子が可愛いなぁと思いながら見ていると、3秒後ぐらいにはその女性が振り返る。

例えば、講演会や研修会などで大きな会場にいるとき、数メートル前の人の頭をぼんやりと眺めていると、大抵の人は振り返る。

ターゲット本人に興味があるとか好意を抱いているとかではない。
講師をずっと見ているのに疲れて、ボーッと視線を空中に漂わせている感じ。
その視線の先にいる人が、わたしの視線に反応して振り返るのだ。
先日は、バスの中でぼんやり前の人の方を見ていたら振り向かれて焦った💦

もちろん、相手が振り返るのを察知するとさりげなく視線を逸らして
「別にあなたを見つめていたわけじゃありませんよ〜」アピールをする💦

海外だと目が合うと、知らない人同志でも互いにニコッと笑ったりすることもあるけれど、ここは日本、「郷に入っては郷に従え」だ。

想っている人からコンタクトされる

「想っている人」と言っても、残念ながら恋をしている相手とかそんなんじゃない。
人事・労務系の仕事をしていたので、職場の人のデータを作成したり、リストをチェックしたりという作業が多かった。
で、リストを順番にチェックしていて、Aさんの行に差し掛かったところでAさんから内線電話がかかって来るといった感じ。
電話が鳴った時点で、「あ、今Aさんの数字をチェックしていたからAさんだな」って思って電話を取ると案の定……。

Bさんのデータを作成しているときに、向かいに座っている同僚が隣の同僚にBさんの話をし始めるということもしょっ中あるし、「Cさんからまだ書類が提出されていないな、リマインドしなくちゃ」と思っていると、当のCさんがオフィスにやって来るというようなことも日常茶飯事だ。

最初は、本当にたまたま偶然だろう、、リストチェックの仕事多いし、、、
ぐらいにしか思っていなかったけれど、あるときから
「これは偶然じゃなくて、私の中の何かが相手を呼ぶのか、もしくは、相手が来るときにリストに目が止まる=予知能力があるのか」と確信し始めた。

つまり、わたしがAさんのデータを見ているときに、Aさんと関わりができるのは必然なのである。

なので、データチェックの作業をしていないときはそのようなことは起こらないし、逆に1日の大半をチェック作業に費やしている日は、そのような現象が何回も起こるのだ。

このような経験をしている人って世の中にどれくらいるのだろう?
もしかして他の人にとっても日常茶飯事なのかな。
同じような経験をしている人がいたら、語り合ってみたい。

相手の想いにも応えやすい

東京という大都会で、何度か偶然というにはあまりにも確率が低い再会を経験している。

例えば、以前住んでいた阿佐○谷で、スープの冷めない距離に住んでいた恋人がいた。
その彼と別れた後、しばらくフランスや北海道に住んでいたのだが、5年ぶりに再び東京に舞い戻って来たわたしは、友だちと阿佐○谷の焼き鳥屋で呑もう! ということになり、阿佐○谷駅のホームに降り立った。

「阿佐○谷といえば、元彼は元気にしているかなぁ、今どこに住んでいるのかな」と思ってふと前を見ると、何と! その彼がホームを歩いているではないか!
すぐに声をかけて、友だちとの呑み会に合流しないか誘ったが、その日は用事があるとのことで、現在の連絡先が書かれたメモを渡された。

その頃、わたしにとって、彼のことは既に古き良き友人感覚。
むしろ、わたしが東京を去った後、彼が放心状態になってしまい、心配した友人が他の女性を紹介した…と聞いていたので、まだわたしに未練があった!? その想いが阿佐○谷での偶然の出会いを生んだ!? なんて思うのはおこがましいだろうか💦

だが、阿佐○谷事件以外にも、わたしからさよならした男性と「え!? こんなところで」というような場所で再会しちゃって、このときは相手に気がつかれないよう、そそくさと姿を消したのだ。

なので、相手の「会いたい」に応えちゃっているのかなぁなどと都合よく解釈している。

でも残念ながら自分の「会いたい」はなかなか叶えられない😭



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