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第8回 「サンボマスター - 青春狂騒曲」の思ひ出

 昨年、実家に帰省したときのことである。家族で歌番組を見ていたら、むかし流行した歌手が久方ぶりに登場し、往年の名曲の披露と相成った。
 はあ、こんな曲もあったなあと見ていると、
「あらまあ、随分と太っちゃったわねえ。こりゃヒドい
「こんなん、テレビに出したらアカンやろ
 と、両親がナチュラルにルッキズムをかまし始めて、たまげてしまった。太ったなあという感想を吐露する程度ならまだしも、ヒドいとか、テレビに出してはいけないは言い過ぎだろうとたしなめると、
「いや、もとから太ってたとかならええねん。けど痩せてた人がぶくぶくに太って出られると」
「落差が、こう、ねえ」
 とのこと。さいですか……。

 近年ではルッキズムという言葉も人口に膾炙し、従来の画一的な美の規範に囚われないモデルが広告に起用される機会も増えてきてはいるが、テレビに映る女性は若く痩身でなければならないという観念が消え去ったわけではない。両親が言うように、最初からプラスサイズの芸能人として売り出すのであれば、例外的にそのようなキャラクターとして受容してやってもよいというだけの話で、それ以外の女性は若く痩身であり続けることが要求される。そして、歳を取ったり肥満するなどして美の規範から外れようものなら、「劣化」したと揶揄され、非難や嘲笑の対象となる。
 かように、見られる存在として客体化され、ルッキズムやエイジズムによる抑圧を被るのは主に女性であり、男性とは非対称性がある。とはいえ、男性も見る主体としての地位に安住することはできず、眼差され裁定される対象から逃れられるわけではない。

 さて、時代は2004年に遡る。サンボマスターといえば、世間的にはドラマ『電車男』の主題歌「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」でヒットしたアーティストとして知られているが、当時の小中学生たちはそれ以前に、テレビアニメ『NARUTO -ナルト-』の主題歌「青春狂騒曲」によってサンボマスターとの第一種接近遭遇を果たしている。
 多分に漏れず、小学六年のおれも『NARUTO -ナルト-』で初めてサンボマスターを知り、彼らの確かなルーツに裏打ちされたサウンドと豊かな詩情に魅了されたわけだが、
「あらあ、音楽性が高いわね」
 と母もお気に入りの様子。しかし、シングルCDが発売され、アートワークを見た母の感想は以下のようなものだった。
「声がすごくかっこいいから、どんなイケメンが歌っているんだろうと思ったら、あらまあブサイクなのね。想像と全然違ってびっくりしたわ~!」
 さいですか……。

 残念ながら、このような印象を抱いたのは母だけではなかった。その後、サンボマスターは「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」によって世に知られることになるが、まずは従来のミュージシャンのイメージから外れた容貌ばかりが過度に注目された。そして絶望の時代にあえて「愛と平和」を高々と歌うことのラディカルさは理解されることがなく、単に陳腐でクサいことを歌っている色物バンドとしか思われなかった。こうして形成されたサンボマスターに対する世間の共通認識は「ブサイクな男が陳腐なクサい歌を熱唱する色物バンド」であり、彼らは笑いの対象であった。
 そして、それが世間の共通認識であることを裏付けるのが、バラエティ番組「はねるのトびら」におけるコント「ブサンボマスター」であり、コント内での演奏曲「言いたいことも言えずに」である。

 知らない人も多いと思うので紹介しておくと、「ブサンボマスター」とは以下のようなコントである。

 「ブサンボマスター」は、塚地武雅、堤下敦、梶原雄太の3人による、サンボマスターのパロディをコントに仕立て上げたもの。災難に見舞われた青年(西野亮廣)の前に現れた3人が、「お兄さんの気持ちはねぇ、痛いほどよくわかるんですよ!」と言った後に、本作(言いたいことも言えずに)を披露するという内容で、計8回放送された。しかし、サンボマスターの3人の身体的特徴を過剰にデフォルメしたメイクにより、コントの放送が開始された2005年2月8日当初からサンボマスターのファンからの苦情が殺到。本家のサンボマスターも抗議し、後に塚地が番組内で謝罪する事態に発展した。

言いたいことも言えずに

 CDのアートワークを見て分かる通り、「サンボマスターの3人の身体的特徴を過剰にデフォルメしたメイク」というのは、まあヒドいもので、現在であれば即刻SNSで大炎上し、一回きりで打ち切り間違いなしの企画であるが、しかし、時は2005年である。初回からクレームを受けつつも計8回放送し、CDの発売まで漕ぎつけ「オリコン週間シングルランキングで最高位4位を獲得し、9週にわたってランクイン」しているというのだから、時代の変化とは恐ろしい。
 ちなみに「言いたいことも言えずに」は、以下のような歌詞の楽曲である。

努力しないで楽して生きてる奴がいたっていい
人を不幸にして金を儲けてる奴がいたっていい
ただ僕は顔がイイ奴が憎くて仕方がない訳ですよ
ムカつくんだぜ
顔がイイ男が 顔がイイ男が 顔がイイ男が
とくかく嫌いなんだ
顔がイイ男は 顔がイイ男は 顔がイイ男は
この世からいなくなっちまえばいい訳ですよ

塚地武雄・堤下敦・梶原雄太 言いたいことも言えずに

 要は、今で言うところの「非モテ」「インセル」をネタにしたものであるが、それが2005年の時点でお笑いとして通用していたことが、つまり男性も見られる存在としてルックスを評定されるようになり、それに苦痛を感じる男性が一定数存在することが認知されていたことが確認できる。これは、加藤智大が「ブサイク」であることを呪詛し、秋葉原で無差別殺傷事件を起こす3年前のことである。
 非モテ男性の僻みをネタにしたコントをすること自体は構わないのだが、「ブサンボマスター」の問題は、そのネタのために実在の人物を勝手に「ブサイクな男」のモデルとして利用したことの暴力性にある。YouTubeにアップロードされているMVのコメント欄を見ると、素晴らしい名曲だと絶賛されているが、「世の中顔がすべてなんだろ」とルッキズム社会への告発を行っているにも関わらず、自らが他者へ向けるルッキズムに関してはまったく無自覚なのである。
 さらにツッコむなら、男を顔だけで判断するなと言うからには、自らは女を顔だけで判断していないのかといえば、そんなことはないだろうし、「ブサイクだからモテないのだ」という考え方は、概して「女は顔だけで男を選ぶ軽薄な生き物だ」という人間観とセットであり、女性蔑視的であることが多い。ルッキズム社会においては、被害者でありながら同時に加害者でもあるといったことが往々にしてある。そもそも、実在の人物を通してルッキズムを語っているこの記事自体が、二次加害になっている可能性もある。

 サンボマスターのファンの中には「彼らがイケメンだったらここまで響かなかった、あの容姿だからよいのだ」という者もいるし、「ブサンボマスター」に共感してしまうような人間こそ、「ブサイク」だから人生が上手くいかないのだと自己規定し人を殺してしまうような人間こそ、彼らがメッセージを届けたい人間であるとも言える。だが、それはあくまで副次的なものであり、彼らは容姿に関することを主題にしているバンドではない。生きづらさを抱えた人間が絶望の時代を如何に生き抜くか、そのためにロックンロールができることは何かを問うているバンドであるにも関わらず、ビジュアルのみに着目してカリカチュアにし、「イケメン/ブサイク」という対立へと矮小化してしまうのは、彼らの音楽へ対する冒瀆であろう。ファンたちが激怒するのも無理はない。

 もちろん、中学一年であったおれも「ブサンボマスター」を初めて見たときには、
「なんてヒドいコントなんだ!」
 と怒り心頭に発した。怒りが冷めやらぬので、このコントの放映があるたびに
「バッカ野郎! おれたちのサンボマスターをバカにするんじゃねえ!」
と、フジテレビに鬼の電凸攻撃を行った……なんてことはない。

「ハハ、おもろ」

 と、普通に笑って見ていた。全8回の放送は楽しみにして欠かさず試聴したし、なんならCDもレンタルして100回くらい聴いた。大学の軽音サークルのプロフィールに、最強のCDとして「言いたいことも言えずに / ブサンボマスター」と記載した記憶もある。
 おれは元々、薄っぺらい綺麗ごとばかり並べた流行歌や、絆がどうだのというドラマが大嫌いだったので、それに対するアンチテーゼとして、非モテ男性の僻みという表象を愛好していた。同時代であれば、花沢健吾の『ルサンチマン』などはお気に入りのマンガである。当然のごとく、「ブサンボマスター」もすぐに気に入った。ファンが怒っているらしいことは情報としては知っていたが、
「怒るのは分かるけど、でもまあネタだし、面白いからええやん
 と、軽く流した。

 冒頭で、なんだか殊勝に両親を批判しているが、昔は家族と一緒に
「ブッサイクやなあ!」
 と言いながらテレビを鑑賞していた記憶もあるし、女性の容姿をバカにするような発言がおれの口からこぼれたことがあることは、世間様は知らずとも、お天道様はちゃんと知っている。
 結局のところ、おれも「もうそういう時代じゃないから」と言って手のひらを返した都合のいい人間の一人に過ぎない。長々とルッキズムがどうのと偉そうに講釈を垂れているが、こんなものはグーグルで「ルッキズム」と検索して、記事の一つや二つでも読めば誰でも書ける。
 「LGBT」「SDGs」「ルッキズム」などの言葉を新しく覚え、
「差別ってよくないよね~」
「もうそんな時代じゃないよね~」
 と「アップデート」してしまえば、善良なる市民へと一夜にして転身できるのだから、チョロいものである。

おわり



追記
 肝心の「青春狂騒曲」に関する思い出はどうしたんだ! という批判を頂いたので、少しだけ書いておくと、
「揺れる想いは強い渦になって~」
 という歌詞のところを、
「強いになって~」
 と、弟と二人で替え歌にして「ギャハハ」と喜んでいた思い出があります。
 うーん、小学生らしくてたいへん微笑ましい! こんなくだらないことで笑えていた、あの純粋な心はいずこへ……

おわり

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