5月ももう終わる

この間友達にnoteを教えて、ちょっと記事を読ませた。野良の友達に見せるのは初めてだったからなんとも言えない気持ちだが、短歌会の人たちとTwitterを交換した日から私のインターネットとリアルは繋がってしまったので、たいした衝撃ではない。誰にも見せないつもりだったノートもすこし見せてしまった。生々しいねと言われた気がする。そうか、生々しいか。
4月以降、思い切った自己開示を何度かやっている。そのぶん後悔も多い。帰宅後ひとりでいる時とかに思い出して死にたくなる。
そもそも私には何もない、私は、一体何がしたいのか、よくわからない、

と思ったり言ったりするけど、結局その日その日で予定をこなしているだけである程度満足している。友達もたくさんいるし。バイク欲しいと思ってたけどかわいい自転車みたら欲しくなってきちゃった。バイクの10分の1の値段の青いやつ。金髪にしたら先に金髪してた友達に俺の真似しすぎだと言われた、真似しているつもりはないし実際自分の決断だけれど、そう思われるのも無理はないと思った。自転車、都内ならあったほうがいいのかもしれない。貯金する心労も減るし。

友達の友達が仲良いと嬉しい、って、私も嬉しい。

筆が乗るタイミングってのは読めないもんだな。家でしっぽり人生について考えてる時とか書こうとしても出てこない。変な文章になる。そもそも文章力がないのも問題とも言えるけど。私は相当おしゃべりだから誰かと話してないと人生とか死とか性とかみんなが考えてるかもしれないこととか考えて鬱々としてしまう。これから梅雨が来るからきっと余計に考えるようになるだろう。考えてなくても各駅停車で乗り過ごすのに、そうしたら東の東まで行ってしまうかもしれない。誰も迎えにきてくれないのに。

食器が欲しい。大きいフォークと大きいスプーンと大きいお皿が欲しい。カレーとか煮物とか入れられる大皿。一度33センチの大皿を買ってしまって、持て余すので実家に送ったけど、それ以来怖くて小さいお皿しか買えない。セラミック製の貝殻を模したでっっかいお皿は買ったけど、あんまり出番がないな。

最近はまあまあ料理をしている。昨日、さつまいもマヨグラタンと、豆腐マフィンと、生クリームスコーンと、豚しゃぶといんげんピーマンパプリカにんじんの出汁浸しを作った。喜びのあまり間違えてInstagramの本垢にストーリーを上げてしまったが、まあ良い。私は、私のいいところだけが見られるホームページを作りたいと思っているので、本垢に適当な写真をあげる時は大抵不本意だ。作り置きをしているカワイイ一面も披露、許容範囲内てす。
全部美味しかった。泡立て器もゴムベラもないのに作る洋菓子。なかなかいい。

Amazonで調理器具と本を注文。歌集を10冊くらい買った。大滝和子さんの短歌が相当好きで、噛み締めて読んでいる。持ち歩きもする。いまいち分からないけど、自分の短歌と見比べてみて、あんまりにあんまりだ!どこから手をつけたらいいんだ!と半ば絶望しつつも、未来を実感している。予定がひとつある夜に向けて、映画を1本みようかと思うくらいには未来を感じている。わたしの絶望感なんて軽い物だ。

物欲の話ばっかりだな、仕方ない、いろんなものが欲しいんだもの。

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GW帰省しなかったので、流石にお盆は顔を出そうと思っている。かなり面倒である。どれくらいの期間帰るのかわからないけど、帰る前に冷蔵庫をある程度開けておかないといけないんだろうか?帰省の作法を知っている人がいたら教えて欲しい。

精神がかなり安定してる。4月頭からずっと脳内に陣取っていた数々の悩みもある程度解消されたか、整理がついた。新たに浮上したのが落単の恐怖。生来の遅刻魔欠席魔が大学でも存分に発揮されて、もうひとつ単位を落とすことが確定している。リーチがかかっている必修もある。
辞めた高校の元担任に合格報告をしに行った時、朝起きられるか?1限に出られるか?としつこいくらいに心配されたのだけど、全くその通りになってしまっているな……

どこまでがポーズでどこからが本当に変えられない性質なのか、自分でもよくわからない。

朝5時ってもうかなり明るいんだね。カーテンを開けて寝るようにしようかしら。うっすら目覚めるのとまた眠りに落ちるのを、日が出てから3時間くらい繰り返していたけれど、1限に余裕で間に合う時間に起きられた。土曜日昼まで寝るよりよっぽど有意義な眠りだった。
こわい夢をみた。爪が全て折れるとか、歯が黒くなって剥がれ落ちるとか、取り返しのつかないことを人にしてしまうとか、汚いトイレでずっこけるとか。私の悪夢はそういうのが多い。特にトイレの夢は最悪だ。公衆トイレの、かなり汚いのの、なぜか水浸しの床に足を浸して作業をしなければならなかったり、尻もちをついたりする。海底の夢などをみたい。怖くともその方がよっぽどマシだと思う。

ポジティブな感情は伝播していると実感できる瞬間があるのに、ネガティブな感情は、どうしたって伝わっていないと思ってしまって、その度に孤独感が増す。こういう種類の感情に振り回されて今こうなっています、と知って欲しい時があるのです。言葉が足りませんが。

解ってもらいたさが先行してうまくコミュニケーションが取れないことがある。昨日は「この人のことはわからないし、私のこともわかるわけがない」とちょうどいい具合に承認欲求のようなものを手放していられて心地よかった。そこまで興味がない人との会話の方が、苦しくなくて好きだ。

6月が怖い。

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