見出し画像

年賀状

正月元旦。
朝風呂を済ませて、食事の用意をする前に、ポストから輪ゴム留めされた年賀状を取りだす。

お店のお客さんから。
業者さんから。
相方さんの身内やお友達。
私の友達。
といった具合に仕分けする。

純粋に私個人宛の年賀状は、今年いよいよ3枚になった。
(その後、チラホラ届いたので5枚にはなったけど)

送りたい人も居るけれど、今のご時世「個人情報」というものを聞くのも気を遣う。
相手が若い人なら尚更。
それにコチラが送ったら、相手も送り返さないといけないみたいな圧もかけたないしなぁ。
(コチラにそんな気なくても相手にそう思わせるのが億劫)

友達から聞いた話。
今の若者は、生まれてこの方、年賀状すら出したことがない人がいるとか。
そうかぁ、もう そんな時代になってしもたんかぁ。

子供の頃、低学年の頃に芋判作る冬休みの宿題なんかがあった。
オカンにサツマイモのヘタもろて、彫刻刀で絵柄を掘って、これまたオカンに朱肉借りて、ペッタンペッタンと一枚一枚ハガキに押していった。
もう少し大きくなったら友達用、親戚用、先生用など自分なりに絵柄を描き分けて、文章はオカンに教えてもらったりしながら書いた。
ワープロが出たときは白黒でも柄が印刷できたんがビックリやったし、家でカラー(プリンター)印刷できるようなったりしたときなんか感動したもんやった。

今となっては、業者で既にプリントされたもんを出すことになったけど、それでも一人一人「この人、元気かなぁ」「今年はよく遊んでもらったなぁ」「また会いたいなぁ」とか思いを馳せながら一言だけ添えている。

ちょっとのことだけど、一瞬だけでもその人を思い、ペンを走らせる。
来年もご縁がありますようにとポストに入れる。
1年間会えなかった人たち、話せなかった人たちに年末年始のご挨拶をした気分になるための、心の節目として。

なんだけど、今時、年賀状なんて出してる方が時代遅れで、もしかしたら迷惑なんかなぁ。と、ふと思ってしまった。

ある一定の年から
・社交辞令的な年賀状だけの付き合いで
・数年リアルに顔を見ることもなく
・相手からの年賀状がない
人たちには送らないルールを決めた。
その年から年々年賀状は出す方も届く方も減り始めた。
来年もまた一人、また一人と減りそうだ。

昔、勤めてた店の同僚や後輩。
どうしてるかなぁと思うけど、向こうは然程でもないんやろ。

以前、来てくれてはったお客さん。
足が遠のきはったんはナニが至らなかったんやろ、嫌な思いさせてしまったんなら申し訳ないなぁと思うけど、向こうにとっては行きたくなくなった店から年賀状届いても鬱陶しいんやろなぁ、ごめんなさい。
来年は送りません💦

近年のデジタル化が云々という方々。
もう出すのが億劫になってきた年配の方やリアルでネットで繋がってる人とは「確かにそれも一理あるな」と思うけど、働き盛り・子供もいてる一般的な社会人から電話やメールのやり取りなどの全くご縁のないの中に、いきなりデジタル化の波がと言われても、それは何気に今後コチラとのご縁を拒否された感しかなく。

ま、「断捨離」いう言葉があるように、今は合理的に不要なもんは手元に置いとかない。
それは例え、人のご縁であったとしても。やね。
年に1回62円の縁ですら不要!という世の中。

無駄がないんやろね。悪くはない考えやと思う。
そういうので生きていけたら楽やろなぁとも思う。
でも、そう割り切れん自分も居る。

「同じ釜の飯を食った仲」
「袖振り合うも多生の縁」

懇々とオカンに「人(他人)への有難みや恩を忘れたらアカン」と言われて育ったせいか、自分から人の縁を切るのは苦手や。

たかだか62円、年に1回誰かを思う気持ちですら持てない心持ちでいたくはない。

ま、逆に「たかだか62円、年に1回私を思う気持ちにすらならない」から年賀状を出すのをやめるという現実もあるのは辛いけど、それはそれで仕方なく受け入れよ(涙)

読んでくれた皆さん、おおきにです! もしスキとか、シェアしてもらえたら、めっちゃ嬉しいです♪ さらにサポートなんかしてもろえたら天にも昇る気分☆ [そんな奇特な方にも出会いたい(笑)] サポートしてもらったら絵本作りのために使います[夢と希望をnoteに託して]