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想いと言葉と行動の一致

忘れもしない、1994 年 12月2日、南インド・プッタパルティのサイババのアーシュラムに滞在時のスワミのダルシャン(拝謁)での出来事。

あの時、私は真実で純粋な自分に戻りたい、自分を変えたいと本気で思っていました。日本では人々とかかわる際は、本音と建て前があって、本心や真実を言えず生きている自分に嫌悪感を感じていました。まさに、想いと言葉と行動の一致ができず、サイババのアーシュラムでさえも、いろんな人とかかわり合いながら、嘘にまみれた自分に苦しみました。

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私はその苦しい胸の内を手紙に書いて、ダルシャンのときにスワミへ手渡そうと考えました。純粋な思いを記した手紙を手にした私の目の前に、スワミは立ち止まりました。そして両隣や近くの帰依者が差し出す手紙を、サイババは次々と受け取りました。さらにスワミは、私が差し出す手紙が入った封筒を数秒間ジーッと凝視しました。ところが、私の手紙をスワミは受け取らずに、そのまま行ってしまいました。私は茫然自失、世界に自分だけ取り残された気持ちになりました。まるで最愛の人に見放されたそんな気持ちでした。私は目の前が何も見えなくなり、 今から荷物まとめて日本へ帰ろうと考えていました。

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途方に暮れながら、ダルシャン後にシェッド(倉庫型簡易宿舎)に戻る途中、スワミの住居わきの大きなメッセージ・ボードをふと見上げました。その時、英語で書かれていたサイババの御言葉が、なぜかこの日は日本語のようにすらすら読め、完全に内容が理解できたのです。スワミのメッセージの意味がわかった瞬間、あの時のサイババの姿が想い浮かび、涙が溢れて止まりませんでした。

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『道徳、倫理、物質、テクノロジー、そして、霊性の進歩を阻止する、この混乱と不調和を解決するための最良な方法は、人間がなすべきことに全身全霊で生き、意識を神の高みへとひき上げることです。これこそが、真理であり、一なるものである永遠普遍の宇宙の教えです。知性の土台である思考は、感情として心に映されなければならず、手によって行為へと変換されなければなりません。だからこそ、言葉と行為は調和がとれていなければなりません。 それらは互いに成し遂げなければいけません。聖なる人(偉大な人)の印は、“マナッスィエーカム ヴァチャッスィエーカム カルマンニェーカム”一つの心、一つの言葉、一つの行為が、一致していることです。- サティヤ・サイババ -』

スワミは苦しみ悩んでいる信者を決して見放さない、そう確信しました。それ以来、想いと言葉と行動の一致はどれだけ大切であるのかが、2年以上経った今でもひしひし感じています。そして最近になって感じることは、想いと言葉と行動の一致は楽で気持ちいいということです。本心を隠したり、嘘をついたりする手間と罪悪感が無くなったからでした。さらに、スワミに想いと言葉と行動を純粋にして全てを捧げていると、失敗や損失や敗北という結果であっても、冷静に受け入れられるようになったのです。

この出来事から20年以上経って、再びサイババは『想いと言葉と行動の一致』の重要性を私に示してくださいました。それは、スワミがラーマーヤナに関する講話をされた時に、話された下記の御言葉でした。

『ヴェーダは私たちに、真理を話し、正義を実践せよ、と呼びかけています。サティヤ(真理)とダルマ(正義)は、トリカラナシュッディ(想いと言葉と行動の一致)の具現です。サティヤとは、自分が想っていることを話すことを意味します。自分が話すことを行動に移すことがダルマです。想いと言葉と行動の一体性は、どのような犠牲を払ってでも達成しなければなりません。そうすれば、名誉と栄光が、あなたの家のみならず、国にも社会にも、その他どこへでも、あなたが行くところに、あなたを探しに来るでしょう。- サティヤ・サイババ -』

愛と優しさをいっぱいありがとうございます!