療養日記 2022年11月25日 『21ヶ月』
この日記に前身の「入院日記」と「続入院日記」なども含めるとこの病気になってからかなりの間日記を続けたことになる。
今日は二月に一度の定期診察で朝から横浜医療センターに行く。行って驚いたのはこれまで開院が8時、各検査の開始は8時半で、それまでの間採血センターの前は人でごった返す。僕はそれが嫌いなので最低限座って待てるように開院前から並んで待ち8時の検査受付をできるだけ早く済ませていた。ところが今日は8時開院、検査も8時からスタートになっていた。先月から30分早めて検査をするようになったらしい。画期的だ。血液検査なんて採血後一時間は必要なので待ち時間の短縮になる。
やるな医療センターと思ったが採血センターの混雑は回避できたもののその次に人が集まる放射線科受付にこれまで見たことのない人だかりができていた。今後これはどうなるのやら。
今日はレントゲンの他にもCT撮影が入っていたがたまたまCTが空いていたので先にCTに通される。これは自分の場合CTの二号機でしか撮影ができず、二号機にたまたま空きがあったからだと思う。二号機は体内に金属部品やペースメーカーなどが入っている人専用の特殊な機種だというのを入院中に聞いた事がある。
CTとレントゲンを終えてもまだ九時前で診察待ちの時間が結局長くなる。
昨日の日記でも書いたようにこのところの身体の痛みがかなり気になり現状を報告。すると慣れない動きを無理にした結果ひと月くらいは体が痛む事があると簡単に答えられてしまった。
それよりも驚いたのは撮影したCT画像を見せてくれて、もう移植した骨は一体化しましたねとの診断をもらった。主治医はこの映像を見てたいそう嬉しい様子で、
「長かったね、本当に長かったけど粘り勝ちしたよ。」
と自分ごとのように喜んでくれた。僕もこの主治医とは最初の入院からの付き合いであまりに人間臭い人だということはよく知っていた。
たとえば最初の退院の時も体を棒のようにして寝起きしてくださいと言った後自ら床に寝てこんなふうにするといいですよと実演してみたり、3回目の手術の時には移植する骨の横に取り出した肋骨を削って盛り込んでおきましたと嬉しそうに報告したりと少し変わった人だけどそれだけ患者と共に歩む姿勢が否応なしに感じられた人だった。
そんな主治医が大喜び。何度も今日のCT画像の部分部分を指さしては「ここはこんなふうにくっついた」だとか「このあたり削った肋骨がうまくくっついている」などと解説してくれて最後は「奥さんにも見てもらいましょう」と画面を印刷してくれるくらいだった。
今日はとにかくひとつのゴールに到達したとお墨付きがもらえた。これまでの間は振り返るといろんな事があった。そして骨の移植手術(3度目の手術)からはほぼ21ヶ月。自分の移植した骨は21ヶ月かけて漸く一体化したのだった。
そしてここで主治医から次のステージへの提案があった。それは脊椎をきつく固定している金属棒とボルトを取り外す事だった。
今すぐと言われても年末年始まで予定もあれこれ入っているので次回通院を来月半ばと決めて大まかには2月くらいの入院で話が進みそうである。
再び背中を開くのは正直億劫だし逃げたくもなる。しかしこの金属棒とボルトは移植した骨をしっかりと定着させる為のものでこれが脊椎をきつく締め上げているうちは様々な動きが制約されるし、痛みの原因にもなっている。多分これを外しても天気痛の影響は多々受けるだろうがかなり楽にはなるはずだ。締め上げによる痛みや異物感も半端ないし、それがなくなるだけでも大違いだと思う。
退院後今日くらい完治した自分を想像できる日はなかったと思う。療養日記も続けていて良かったと思う。あと少しの辛抱だ。前向きに物事を考えたい。
夕方は処方箋を持って薬局に薬をもらいに行って来た。これから次の入院に向けてまずは杖に頼らない時間、硬性コルセットに頼らない時間を少しずつ増やしていこうと思う。傘がさせない雨の日がなくなるように、リュックも背負えるような外出ができるように今から準備が必要だ■
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