見出し画像

お遍路ウォーキング日記(38:二十四番最御崎寺へ ④)

【2024年2月10日(土曜日) Day 38】

 牟岐むぎ町の次は海陽町に入る。今日いる浅川という所は海産物が豊富で、日和佐などにも出荷されるくらいだ。もとはひとつの村だったものが昭和大合併の際に周辺の村と合併して海南町となり、海南町は平成大合併の時に海部郡南三町(海南町、海部かいふ町、宍喰ししくい町)で合併して今の海陽町になっている。

 一方当初合併を予定していた海部郡北三町というのが昨日も登場した由岐ゆき町、日和佐町と牟岐町でこちらは三町合併には失敗している。

 いずれも徳島県の指導のもと海部郡は南北三町ずつに分かれてそれぞれに合併して二町になるよう働きかけていた。

 徳島県はいずれ海部郡を一つにしたい思惑があるとみられ次に合併のムーブメント(令和大合併)が起こればおそらくは美波町、牟岐町、海陽町の三町合併が考えられなくもない。行政のスリム化と言いたいのだろうが旧由岐町から旧宍喰町までは相当広くなる。かなりスカスカな行政のサービスになりそうな予感もする。

 すっかり四国巡礼とはかけ離れた話になってしまったがこう云う話が大好きなので何かのついでにと以前から調べていたのだ。

 今日で通り過ぎてしまった牟岐町のはずれにはローソンがたぶん今でもあると思う。ローソンにしては珍しくキッチンを持っていて讃岐うどんが食べられた。これがとにかく不味いうどんだった。

 今でも食べられるのかは甚だ疑問ではあるがこれまでここを通る度に必ず立ち寄ってうどんを食べていた。それはまさに通過儀礼みたいなもので、巡礼が正打ちであろうと逆打ちであろうと妻と一緒に巡礼するようになってもここを通れば絶対だった。合言葉は「牟岐で不味いうどんを食べる」だった。

 このコンビニから海陽町方面に3.5㎞程の所に八坂寺という寺がある。寺号よりも「鯖大師本坊」という名前の方が有名だ。弘法ゆかりの地で四国別格二十霊場の一つでもある。創建されたのがいつ頃なのかは不明だが本尊は弘法大師なので9世紀以降と考えられる。少なくとも弘法が建立させた寺ではない。

 鯖大師の伝説は他の地方にもあるが大体は馬で塩鯖を運んでいた馬子に対し弘法が塩鯖を求めたところ口汚く罵ったら馬の具合が途端に悪くなり坂を登ることができなくなった。馬子はそこで先程の僧こそが弘法ではないかと引き返して許しを請い、馬を治してもらって弟子になったという話。地方によっては弘法ではなく行基菩薩になっている。

 鯖大師では鯖を三年絶って願い事をすると叶うと言われているがそれは想像しただけでも壮絶だと思う。煙草は三年絶つことができても、餃子なら三年絶つ自信があっても鯖を三年絶つのは容易ではないと思う。少なくとも自分には絶対にできない。

 この鯖大師もまた海陽町浅川、昔の浅川村にある。この先は海陽町の中心、かつての海部町に向かう。海部はかつての牟岐線の終点でもあり、それで名前だけは知っていると言う人もいるのではないだろうか■

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?