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ブキウギ観て考える

【療養日記2024 3月14日(木)☀️】

 以前なら朝のルーティンの後11時過ぎに家を出てどこかにお昼を食べに行く事が良くあった。それが今ではどうだろう。とにかく出不精になってしまいお昼だって家で食べる事が当たり前になる。最近は面倒臭いと思うとお昼を食べないこともある。

 昼食を家で食べれば確かに余計な出費は避けられるのだが、その分外の世界に身を置いて自分も社会の一部という意識を多少なりとも感じられていた機会も減ってしまった。

 今はほとんど外出しないので出かけ方すら忘れてしまったように感じられる。日中は韓国語の勉強をして過ごしていた。今日はそれほど昼間寝ていない。しかし起きていれば身体がしんどくなることには変わらない。

 夕方先週分の「ブギウギ」をまとめて観る。主人公笠置シヅ子(とおぼしき人)がアメリカ公演に出でその後父親が危篤で香川に帰る。

 笠置シヅ子は現在の東かがわ市の引田ひけたの出身。当時は引田町という町だった。

 ドラマでは娘のエイ子(とおぼしき人物、ドラマでは愛子)を実家香川に連れて行きそこで父親と会うも翌日には父親は亡くなり、その葬儀の時にシヅ子(とおぼしき人物)は実の母と再会。そこで親子の間の蟠りが多少は解けた感じで終わる。

 実家の父親が戦争で亡くなったシヅ子の弟の可愛がっていた亀を愛子にも可愛がらせるシーンがある。このドラマの序盤でもやたらと亀が登場した。ふと気付いたが笠置シヅ子の本名は亀井静子で、ここで亀との接点はあるにはある。

 笠置シヅ子の晩年は時代の流行に伴いブギウギからマンボにシフトしていく。晩年はマンボベースの歌が多いのだが多分ドラマではそこまでは出てこないと思われる。マンボはカッチョええブギウギとはだいぶ毛並みが違うからだ。

 マンボは当時の流行の先端を行き、歌謡曲の世界には後々まで影響を及ぼしたが、笠置シヅ子の歌うマンボにヒット曲はなかった。その頃ともなると笠置シヅ子は歌手から次第にタレントとしての活躍が目立つようになっていった。

 ブギウギも残すところあと半月、次の4月からの朝ドラにはあまり関心がない。もとより今でもリアルタイムでは観ておらずビデオに撮って後でまとめて観ている。その時間は「まいにちハングル講座」の時間でもある■




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