お遍路ウォーキング日記(55:二十七番神峯寺へ ⑥)
【2024年2月27日(火曜日) Day 55】
昨日までなかなか到達しないと言っていた吉良川町の街並みを完全に通り越して一気にその先の羽根岬まで通り過ぎてしまった。
この場所のすぐ先には市町境界があって隣町の奈半利町の加領郷に入る。
それよりもずっと前の羽根岬の手前、集落が終わるあたりに偶然見つけたのが 漁籃観音の祠。あまりに目立たないところにあるので道行く遍路も気付かないかも知れない。
漁籃観音(魚籃観音)は自分も詳しくは知らないが三十三観音の一つで正直とても珍しいらしい。字のごとく魚に関係する仏で籃というのは竹で編んだ魚を入れる「魚籠」のようなもの。その魚の字を漁の字に書き換えて豊漁を祝うものとして祀っているものだと考えられる。
祠が作られたのが平成元年なのでそれ程昔のことではなさそうだ。
羽根岬近辺には北側に加領郷、岬の辺りに羽根とそれぞれ漁港がある。海沿いの信仰や祭りなどにも興味があるが神仏分離の後の時代にも観音が土着神のような役割をしているんだなと改めて気づかされた。
この魚籃観音は本当にたまたま自分のお遍路ウォーキング上での現在地をチェックした際に見つけたものだ。これも日々の歩数レベルで四国巡礼をしていたから見つけたものだと思う。
日本にはまだまだ神仏分離のあとも人々の生活に溶け込んだ神仏習合の習慣や意識が百年以上も経った今でさえ残っているんだなとつくづく思う。それがたとえ本質から見たら間違いであったとしても人々の心の中には神や仏にすがりたい気持は昔も今も変わらないのだと言うことがむしろ日本らしくて良いと感じることがある。
本地垂迹(日本の神々のそもそもの正体が仏教の「本地仏」であったり、仏教の仏の化身が日本の神へと姿を変えて「垂迹神」となる思想のこと)の考えが神仏分離から百年以上経っても未だ残っている事もまた日本の独自の宗教観を知る上では大切なことかも知れない。
ただそもそもそのようなことには関心がないのも日本人らしくて良いのかも知れないし、もっと言ってしまえばこの魚籃観音がそもそもそのような背景で祀られたのかどうかも定かではない。
今日はやたらと長くなってしまったが次の札所はまだまだ先。明日あたり奈半利の街中にまで行けたらと思う■
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