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お遍路ウォーキング日記(101:三十八番金剛福寺へ ⑧)

【2024年4月14日(日曜日) Day 101】

 今日はついに国道56号線から離れて四万十大橋へと向かう遍路道に入る。

 現在地は黒潮町浮鞭うきぶちという場所。先日も書いた道の駅ビオスおおがたのあたりだ。浮鞭は四万十くろしおラインの駅もある。道の駅近辺は先日も書いた土佐西南大規模公園の中にあり、砂浜沿いの松原には入野キャンプ場という規模の大きなキャンプ場があり、砂浜にTシャツがたくさん干されている「砂浜美術館」が行われる場所でもある。

 四万十くろしおラインの浮鞭駅のひとつ手前は「海の王迎うみのおうむかえ」という名前の駅がある。14世紀に元弘の乱げんこうのらんで北条家により土佐へ流刑になった後醍醐天皇の子である尊良親王たかよししんのうが上陸した場所と云われている。

 この海の王迎駅の近くには王無おうむの浜という浜があり、そこに尊良親王の上陸地の碑がある。

 調べればこんな話があるとすぐにわかるのだが流石に海の王迎駅という名前はインパクト絶大だなと思った。

 さらに昨日までいた灘公園から暫く進んだところには海の王迎駅の隣の土佐上川口駅がある。国道からは少し離れた所に位置するが、この駅のすぐ横には「朝鮮国女の墓」という墓碑がある。

 豊臣の朝鮮出兵の際に土佐の長宗我部元親の家臣が朝鮮から機織りの技術を持つ女を二人連れ帰ってきたが一人は自害し、残る一人がこの地で機織りの技術を伝承させたと云う記録があるらしい。その技術は四国中へと伝わったと言うことだが、最後まで名前がわからず「朝鮮国女」と呼ばれそれが墓碑銘になったという。

 以上昨日までいた灘公園から現在地までの間にある歴史的な伝説のある場所について簡単に書いてみた■

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