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療養日記 2021年12月28日 『新たな闘病生活』

先日重大な病気が発覚したエルマ、今日はさらに精密な検査をするために朝から病院入り。ただの検査ではなく骨髄を取るために全身麻酔までしなければならなかった。その後ステロイド剤投与というややリスクのある治療が始まる。その投与量を判断するために今日の検査がある。

朝一番で犬猫病院にエルマを預ける。その後妻と藤沢へ。実は今朝テレビを見ていたときに鉄道忘れ物市という聞き慣れない催事が藤沢で行われていることを知り妻がたいそう興味を持ち始めた。やれバッグがあんなに安いだの腕時計もすごい安いだの、忘れ物のペン袋詰め300円は絶対にやらなければ末代までの恥だのこれでこの冬の冬物はいただいただのとやたらと興奮してそれはもうエルマをとっとと病院に預けたら何が何でも行ってやろうとやる気面白そうだからちょっと見てみたいねと見に行く気満々だった。

この手のイベントは大きな催事場を持っている北口のさいか屋に限る。昭和の時代の古き良きデパートの雰囲気を今に残した藤沢の顔だ。行ってみると開店直後だというのにみんな小走りでエレベーターに乗り込んでいく。そんな走っても走らなくても同じだろうとおもうのだが。

平日の午前中だというのにとにかく人で賑わっていた。よく見れば年金生活者であろう地元の爺さんや学校も休みになったガキが大半を占めていた。

実際バッグだの腕時計だのを手にしてみた、確かに安い。安いんだけどなぁ、なんだろうな。もうその程度の時計をして喜んでちゃいけない年齢になったと自分でも思うくらい。もう少し若ければこの程度の時計でもとてもかっこよく着こなせるけど、もう自分には年齢相応ではないものが多かった。時計で見栄を張るわけではないのだが、年齢相応の時計か、誰もしていないような一品ものでないと腕時計はすぐに人を見られる…と言う面で条件を満たすような時計はなかった。此処では所謂高級腕時計のことをいっている訳ではなく、説明が難しいのだがたとえば同じGショックでも年齢相応ってのがあるわけでそういうモノは皆無だった。

結局何でもかんでも安いと僕の場合目移りして決められないということはなく、全てに対して物欲が遮断されてしまうのだ。欲しい欲しいと曽てはあれこれ買っては欲求を充足させていた「物欲大魔王」だったのだが、四国巡礼をする頃になってからそういった物欲がどんどんなくなっていった。思えば人と会いたがらなくなったのも同じ頃の事かも知れない。

今ではこれがどうしても欲しいというものがまるでない。服でも靴でも時計でもすべて足るを知るというわけではないのだが、現状で満足している。スマホもいいモノを持っていると思っているし、PCだって今使っているMacで十分だし。何か欲しいものあったかなとそれで悩むくらいだ。ということでいくら目の前にとても安くてもとはとても良いいモノが登場したとしても欲しいと思わないのだからほとんど何も買わなかった。

結局買ったものは二つ。USB電源アダプタ(出力は二つ)と外出用バッグだ。今の不自由な身体でも使えるリュックではないタイプのバッグ、3月の入院時に雑誌のオマケのバッグを使い始め、それを今でも使っているがそろそろあちこちほころんで穴も開いているのでバッグは欲しかった。それだけだった。

せっかく藤沢に来たので北口の裏路地にあるラーメン屋でラーメンを食べ家に戻った。帰ってきてからは全身がまた辛くなってきたので大人しく部屋でこもっていた。この年の瀬だっていうのに大掃除の一つもできず自分は一体何をやっているのだろう。それにしても電源コードがあと2つ使えるようになるとかなり楽になった。何でもっと早くに買っておかなかったのだろう。

夕方妻のテレワーク時間が終わるとエルマを迎えに犬猫病院へ、午後3時くらいに全身麻酔から覚めたということでまだだいぶフラフラしていた、と同時に自分が全身麻酔から覚めたときの事を思いだしてしまった。いずれも大手術のあとだったから当然起きられるでもなく、1回目2回目はやたらと時間が流れるのが遅く感じ、3回目は呼吸もままならずほとんど意識もない時間を過ごしたくせにそれでも時が過ぎるのが異常なほど遅いと感じていた。そして帰ってきてから半ば無理矢理食事を与えて最初の投薬が始まった。エルマの新たなる闘病生活、できるだけ早く快方へと向かってほしいものだ■

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