お遍路ウォーキング日記(57:二十八番大日寺へ)
【2024年3月1日(金曜日) Day 57】
漸く札所二十七番神峯寺を打った。海沿いの国道からごめん・なはり鉄道唐浜駅脇を通った先つづら折りの道を延々と上る、この上り坂が険しい上に長い。
この神峯寺について書くと、まずは海沿いの唐浜の集落から見上げるような所にある二十七番神峯寺へと道路が繋がったのが今から50年ほど前のこと。それまではほぼ崖登りのような所謂「遍路ころがし」だったそうだ。
この寺は聖武天皇の勅令により行基菩薩が建立した寺で、後に弘法が本尊を祀って堂宇を建てた。この場所は行基が寺を作る遙か前から神峯神社というものが存在していたという。そして弘法が建てたものは観音堂と呼ばれていた。それから数世紀の間、神社に観音堂がある状態で栄える事となる。
当時は神峯神社の別当寺が麓の唐浜のあたりにあり、そこが観音堂の遙拝所として使われていたらしい。専らその遙拝所が札所だったとも言う。
やがて観音堂は失火で焼け、しばらくの間は麓の別当寺に本尊を安置していたという。
明治の世になり神仏分離が行われると神峯寺は廃寺となり、札所は金剛頂寺に移された。暫くした後に神峯神社の僧坊跡に堂宇を建立させた。寺格は遠い茨城県の地蔵院を移し、この様な紆余曲折をもって今に至る。
そんなわけでこの寺のさらに上の方に今でも神峯神社が残っている。
この寺の苦労は昭和も戦後になってから。遍路ころがしの上り坂に車でも通れる道を作ることを決め、70年代になってやっと道路が開通した。
この寺のもう一つの特徴にきれいな水というものがある。夏でも冷たく美味しい水が湧き出ている。名水の札所は他にもいくつかあるが、この神峯寺もそんな中の一つだ。
次の札所、二十八番大日寺へは唐浜までの下り道も含め約40㎞近い距離がある。そして次の札所ともなると南国土佐は高知もかなり近くなる■
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