見出し画像

深読み:アートマ・クリヤ・ヨーガ


アートマクリヤヨーガ受講

バクティマルガ主催のアートマクリヤヨーガ(AKY)の初級クラスを受講しました。

講習内容は機密保持のため、詳しいことは書けませんが、いい経験になったと思います。

そもそもヨガって何?

ヨガを説明するとなると、紙面が足りなくなるので、ここでは説明しませんが、ただ一つ書くとするなら、ヨガというと、ものすごく難しい姿勢(アーサナ)ができる人が達人(マスター)で、そうなるために頑張るみたいな見方が一般的には強いです。確かに、それはそれで1つの過程ではありますが、必ずしも最終目標ではないということです。

難しいアーサナと言いますと、「ハタ・ヨーガ」と呼ばれる流派で重要視されてきましたが、現代では身体的ポーズに重点を置いたエクササイズとして広まっており、本来の「ハタ・ヨーガ」とは異なっているようです。

もちろん、難しいアーサナができるようになるには、毎日実習が必要で、それはそれで良き修練と思います。呼吸も身体の筋力も統御され、食事もバランスよくしないと、難しいアーサナを安定して継続していくことは実現できないと思いますので。

何事に対しても一意専心し、道を極めるためには、それ相応の修練が必要です。どんな分野の職業でも、アスリートも、職人も、技術者も、文筆家も、育児でも、家事でも、何事においても真剣に向かい合う人は、広い意味ではヨーギ(ヨガ実践者)と思います。あくまでここは個人的な意見ですが。

どのヨガをしたらいいのか?

ヨガ講師にも、様々な流派(流儀)があり、師事するグルが異なっていたり、宗教的な要素を排除したスポーツヨガやマインドフルネスのインストラクターがおられたりと。結局のところ、どの講師が、どの団体が、自分に合っているのか、見極めるだけでも、一苦労というのが、現在の日本の状況と思います。自分も正直わからなかったです。

ただし、自分の体験談やいろんな人の話を聞くかぎり、その人にあった道に自然と導かれているように思います。ピンとくる何かがあったらそれを実践したらいいのではないでしょうか。やってみて違和感があるなら、様子を見た方が良さそうです。

大阪テンプルの神聖な空気

今回は、大阪府豊能町にある大阪テンプルで講習を受けました。先週には、グルジが来日され、テンプルで儀式が行われた直後のテンプルでは堂内や祭壇にはいい薫りが漂っていました。神聖な空気の中、コースを受けられたこと自体が幸運でした。

テンプルもさることながら、敷地内にある宿泊施設が快適でとても感動しました。木の温もりのある作りで、こんな快適な施設長らく泊まったことがないです。海外旅行ではホステルやドミトリー、ゲストハウスなどに泊まっていただけに、やはり日本ていいなーと思いました。

しかし、受講直前の朝に、緊張のためか、どこかでひねったのか、左の背中が痛んで、内心、受講も心配しましたが、「オームチャンティング」を実習したくらいから、すっかり治りました。

「声を出す」行為って、日常では少ない気がします。バクティマルガのグループヒーリング「オームチャンティング」楽しかったです。

現代人の救済のため

以前に東京でダッタ・クリヤ・ヨーガ(DKY)の初級コースを受けてから5年経っていました。以来、毎朝少なくとも5分は続けてきたのですが、次のレベルに行くには、もう少し長い時間やらないといけない気もしています。

ヨーガは講習を受けてから自分で実践(実習)することが非常に重要で、毎日続けられるかに全てはかかっています。

かつては、インドのヨーギ(ヨガ実践者)は、難しいアーサナも当たり前にできていたようです。しかし、現代人の怠慢?から、またカリユガ(時代の区分)のネガティブな影響から、現代人には、できないことが増えてしまい、マインドも不安定になりがちです。そこで、我々を救うためにインドのグルたちは現代人が実践しやすいように、シンプルな内容にアレンジし直して、伝授してくださっています。これは、DKYでもAKYでも、グルは同じスタンスと思います。

マインドの制御

頭だけで理解しても、体と心が成長しないといけない。身体だけが動いても、マインドが不安定で、心が成長してないといけない。まずは、マインド(頭)の制御ができてこそだと思います。

マントラを心の中で唱えながら、瞑想やアーサナを行うのは、マインドによる邪念から心と身体を解放するためにあるのかなと思いました。

自分の場合、心の中でマントラを唱える際に、少し急いでしまうところがあって、落ち着いて一定のペースでやりたいと思いました。実はかなりせっかちな性格なんです。というか、マインドで数をカウントしている癖があるからなのかもしれません。

自分は幸せなのか?

ヨガの講師には憧れがあります。身近な人に何か気づきを与えられるかもしれないからです。その結果、その人が幸せになってくれるなら、自分も幸せと思うからです。

「他人に幸せになってほしいという思いが強い人」は、実は「自己承認欲求が強いことの裏返し」なのかなと思うときもあります。

もしそう思うなら、「自分は幸せなのか?」と問いかけることだと思います。他人との関係を抜きにして考えてみて、自分は満たされているのか?と考えて、もしそうなら、自分がいいと思うことを他人にも勧めたらいいと思います。

日本人は、「自分は犠牲になってもいいから、周りの人に幸せになってほしい」と思うことが、美徳とされてきたように思います。本当にそうなら、とても素晴らしいことですが、現代では、その美徳が形骸化しているように思います。自分が幸せでなかったり、本心からいいと思わないなら、勧めないほうがいいと思います。

ただ、アートマクリヤヨーガを受講するような人は、すでにその時点である程度は準備は整っているんだと思います。

次回はAKY版太陽礼拝も学びたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?