苦労して会いに行った伯父と伯母の家に滞在することになったサティヤ(スワミジの少年期の呼び名)。彼らの息子(従兄弟)とは言葉が通じないものの、仲良くなりました。しかし、サティヤは、ある日、伯父と伯母がサティヤの悪口を言っていることを聞いてしまいます。サティヤは、そのことに落ち込みますが、自分を見つめ直すきっかけになりました。
「僕は彼らのことを許してやろうなんて思ったけどもそれすらも傲慢だったのではないか。この世界には悪意に満ちた人間なんていない。自分が侮辱されたのは過去の悪い行いのせいである。侮辱が誰かを介して僕に降りかかってきただけのことなんだ。自分にはサーダナ(霊性の修養)が足りない。」
サティヤ少年はこのように自己分析しました。
スワミジは、「相手を許す、罪を赦す」というだけでも相当寛大な心が必要なはずなのに、その良心ですら欺瞞だと退けました。過去生と向かい合わなければならない、僕がいることで侮辱という感情が伯父と伯母、従兄弟の生活の場を乱し、汚していることを悟ります。