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回顧:親の背中

いつから坐禅に親しみが湧いたんだろうか、自分でも覚えていません。父の日参観で子どもと坐禅をしてから、朝の忙しい時間に、結跏趺坐を組んでみると、自然と子どもが隣に座ってきて、坐禅らしきことをしています。僕は決して坐禅のエキスパートではなく、いつも雑念に邪魔されて、集中しきれないことのほうが多いです。でも、坐った後の充実感は、何にも代え難い至福感があります。
実は、子どもが今通っている幼稚園に僕も小さい頃、よく遊びに行っていたらしいです。坐禅をしていたのかどうかも全く覚えていません。しかし、前の住職さんの写真を見た時なぜか懐かしい気がしました。そして、坐禅というものがどういうわけか、信じてしまいます。根拠はありませんが、悪いことではないような気がするのです。

ところで、坐禅時の脚の組み方(結跏趺坐)にも2通りあり、右の足が上に来るか、左の足が上に来るかの違いがあります。僕はいつのまにか、右の足が上に来る結跏趺坐になっています。

ネットで調べてみると、

・インド・スリランカの南方仏教や部派仏教では仏像も現在の瞑想でも右が上

・中国に入って左が上の坐法が見られるようになる

・日本の密教系は右が上、禅宗では左が上

吉祥(きっしょう)坐と降魔(ごうま)坐の2種がある。吉祥坐は、先に左足を右のももの上に置き、次に右足を左のももの上に置く坐法で、仏の説法時の座り方である。降魔坐は、右足を左のももの上に置き、左足を右のももの上に置く坐法で、天台や禅はこの坐法による。顕教(けんぎょう)の仏菩薩(ぶつぼさつ)像の坐相は降魔坐で、吉祥坐は密教の法儀とされる。片足だけをももの上に置くのを半跏趺坐(はんかふざ)(半跏坐、賢坐(けんざ))という。
日本大百科全書

お寺で坐禅している時は住職が、脚が痺れたら組み直してもいいですよと言われていました。

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