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深読み: 無邪気

少年期の経験というのは、その後の人生に大きな影響を与えるのでしょうか。

僕の場合、兵庫県南西部のいわゆる播州地方で生まれた育ったのもあり、秋祭りが盛んな地域です。今年は567の影響で多くの地域で屋台練りは自粛でしたが、屋台を蔵前でお披露目した地域はいくつかありました。

屋台を観ると、嬉しくなる。太鼓の音が聞こえると、ワクワクする。そう言った感情が直感的に起こります。屋台の前では、気持ちは素直になるような気がします。邪気がない。すなわち、邪な気持ちがなくなり、純粋な気持ちで向かい合えます。

一方で、大人になってから、考えた結果、自分の生活に取り入れたものは、その思考回路を正当化するプロセスが常に必要です。ある意味、大学での勉強や仕事、資格のための勉強はそうかもしれません。これを勉強すると就職にいいから、生きていくためにはお金が必要だから、家庭があるから、と条件付きで成立しているようにも思えます。

お金がもらえなくても、誰かに指示されなくても、要するに見返りを期待せずに、自らの気持ちで真っ直ぐにその対象に向かいあえる対象がある。すなわち無条件でその対象が好きであり、無邪気に向き合えるものがあるというのは、その人の人生を豊かにするように思います。

それでは、仕事や勉強に対しては、一生、邪気が消えないかというとそんなこともないような気がしています。個人差はあれど、日々の生活に取り入れ、継続させることで、「そう成る」ように思います。その対象と自分が融合するようになることも不可能ではないと思います。有名な芸術家や職人の方々はそれに近いかもしれません。その道を極めるというんでしょうか。

他人を意識しすぎたり、自分を正当化してもらおうとしたりしているうちは、まだまだ迷いがある段階なのかもしれません。そういう自分も、いろんな物事においてまだまだなのですが...

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