音楽:デスメタルインディア
デスメタルコンプレックス
自分は、デスメタルが好きなんだということを自分で受け入れられるまで相当な時間がかかりました。人生で何度もCDを全て処分したり、中古で売り払ったり、もう絶対に手を出さないでおこうと訣別の儀式?もしたことがあります。
中毒性のある音楽だけに、なかなか手放せないのは事実で、その反面、そういう音楽ゆえの非社交性の強さにいつまでもこの沼にはまっていてはちゃんとした大人になれない的な強迫観念が生じて関わりたくないと思ったりと、いわばデスメタル・コンプレックスを持つようになりました。
しかし、むしろ好きなんだから仕方がないと達観してしまって、気楽な気持ちでいた方が、案外、うまく付き合えることがわかったのが、ここ最近です。そう思えるまで、30年くらいかかったように思えます。
スパイスの重要性
スパイスを上手に効かせると、食べ物が美味しくなります。物事にもスパイス的な要素が必要なのかもしれません。たまにピリッとしたい時、シャキッとしたい時、メタルが手助けをしてくれます。嵐の後には必ず晴天が訪れます。
デスメタル・インディア
世界を見渡せば、こんなにたくさんのデスメタルバンドが活動しているのに驚きです。そして、アジア各国にもしっかりと根付いているようです。特に、「デスメタルインディア」という本を読んで、いろんな意味で感動しました。
カレーというミクスチャー文化
様々なスパイスをミックスして味を作り出すのがカレーですが、音楽もそうかもしれません。和食は味を差し引きしてゆくことで素材の良さを引き出すと言われますが、南アジアの料理は、たくさんの要素を絶妙なバランスで調和させる食文化です。
メタルの発祥の地はインドでもアジアでもありませんが、欧米から飛び火して南アジア各地で燃え盛るメタルの炎もまた独特の美しさがあります。
ただここで言いたいのは、インドは決してごった煮の文化ではないと言うことです。多様性の裏には絶対性というか純粋な頂点としての神を誰しもが抱いていると言うことです。一見、統一感がないように見えるのは、ほんの一面でしかなく、目に見えない統一性がしっかりとあります。
メタルひいてはロックミュージックはそういった見た目の束縛や、目に見えない差別を打ち砕いてきた歴史があります。南アジアではどうような形で若者に支持されていくのか。興味深いです。
善悪の彼岸
インド神話を読むと、戦士が活躍したり、悪魔が出てきたり、ルドラやシヴァ、カーリーのような破壊的な行いをする神様もいます。その意味では、メタルが描く音像との親和性は高いように思います。西洋と違い、神と悪の二者選択ではないので、デスメタル=悪魔ともならないのが面白いです。もちろん最近はそこまで深刻には受け止められなくなりましたが。
博物学的にメタルを楽しむ
僕はこういうカタログ本が大好きで、博物学的に片っ端から聴いていくのが趣味なのですが、最近はサブスクのおかげで聴ける音源も格段に増えました。
それにしてもこうやってきめ細やかに調査を行い、本にしてしまう専門家気質はすごいなと思います。
しかし現実的には現地のミュージシャンたちは、バンドだけでは生計を立てるのは難しいことも書かれており、現状は生活の基盤が整っている人がメタルという機材や装置にお金のかかる音楽活動に携わっているようです。
プレイリスト
本書で挙げられているバンドの再生回数の多い1曲を選んでプレイリストにしました。
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