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深読み:虫と人のステージ

第118節
Svayam tathavidho
bhutvasthatavyam yatrakutracit
Kitabhramaravat tatradhyanam
bhavati tadrsam
「もしあなたが至高の状態に達したら、あなたは至る所に存在する。芋虫が蝶について常に瞑想することによって蝶になるように、人は近い存在となるために、神について瞑想すべきである」

シュリー・スワミ・ヴィシュワナンダ著、スワミニ・ダヤマティ訳
「シュリー・グル・ギーター」2024

うまく撮影できた蝶の成虫の写真を見ていると、芋虫の時との見た目の違いって、すごいなって思います。

虫が苦手な人からすれば、芋虫も蝶も気持ち悪いでしょうけど、芋虫が苦手だけど、蝶が好きな自分にとっては、この形態の変化は大きいです。

蝶、ひいては昆虫はヒトとは違って、各ステージで「なすべきこと」に特化しています。例えば蝶類では、幼虫期は、食草を食べることに特化し、蛹期は殻の中では必要な部分だけを残し、大部分はドロドロに溶けてダイナミックな生理的変化が起こっています。種によっては蛹の状態で不適な環境を乗り切るものもいます。成虫は、子孫を残すためによき配偶者を探索すること、効率よく吸蜜しエネルギーを蓄えること、種によっては長距離移動をするものもいます。そして雌は、子孫のために適した場所に産卵します。

「ヒトと違って」と言いましたが、ヒンドゥ教では、4住期と呼び、人生を4つのステージに分け、各ステージでなすべきことを示した考え方があります。第1ステージ:学生期、第2ステージ:家住期、第3ステージ:林住期、第4ステージ:遊行期です。

また、人生には4つの目的があり、ダルマ(正義)、アルタ(財産)、カーマ(欲望)、モークシャ(解放)があるとされます。

完全変態の昆虫も卵、幼虫、蛹、成虫で、奇しくも4ステージです。

上記引用のグル・ギーターの一節では、「芋虫が蝶を瞑想する」とありますが、この例えは面白いと思いました。各ステージの「あるべき姿」で、将来「なるべき姿」を瞑想(熟考)することの重要性を説いたものと解釈しました。

人は考えることができるけれど、虫は考えているかどうかはわかりませんが、考えてないとは言い切れません。しかし、各ステージで「なすべきことに専念している」のは明らかです。「あるべき姿で、なすべきことをなしている」とも言えます。なすべきことをなさずには、淘汰圧の強い自然界では死あるのみです。「なるべき姿」にはなれません。

人もそうなのかもと思ったり。なるべき姿になるためには、各ステージであるべき姿でなすべきことをなす。そして、将来のなるべき姿を瞑想する。

上記詩句からはそういうことを考えました。

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